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[承前] ・・・という音楽的、音響的な問題が釈然としないまま舞台は進行し ていくが、バイロイトでも感じたようにジークムントを歌うヴォトリ ッヒの鈍重な声には“ときめき”のようなものを感じることはない。 ……まさか復活祭のパルジファル需要で彼くらいしか呼べなかったと いうわけではあるまいが・・・。 それよりもフンディングを歌ったクルト・リドゥルの衰えに驚いた。 第一声から想像もできないような大揺れのビブラートで、歌い方も終 始勝手な“自分流”とでもいう感じなのだった。結局、そんな舞台上 の状況もプラスされての一幕の苛立ちだったということになる。この 日だけが調子悪かったのか、それはわからない。 2002年の時のフンディングを歌ったのはドナルド・マッキンタイアで キース・ウォーナーのフンディングへのコンセプトは、歳の離れた暴 君的な夫とでもいうような位置づけのようなものかと思ったが、今回 もそのことは踏襲されていた。それはいいのだが歌い手には問題があ り過ぎてしまったように感じた。彼のところだけ自分自身の中で空白 になってしまったのだ。 ジークリンデを歌ったセラフィンは――セラフィンだけでなく、この ワルキューレでは女声上位であったと思う――男性陣に足を引っ張ら れたて損をした部分もあったが、もう少し強い主張が欲しいとも感じ た。それでも終幕の、ジークフリートを授かったと知ったところでの 絶唱まで持ちこたえて歌いきった。この先が楽しみというところ。 [続く] 憬話§我々の“バイロイト音楽祭”2008.08 |
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