歌話§ディスカウの歌うマーラー

フルトヴェングラーが指揮した『さすらう若人の歌』の録音
を聴くことをずいぶん長いこと躊躇していた。

この録音を使ってモーリス・ベジャールが2人の男性ダンサ
ーのために振付けた作品を何回か観たことがあった。ベジャ
ールは、当然といえば当然だが音楽にも造詣が深く、彼の作
品に使う音楽の選択もきちんとしている。

それでディートリヒ・フィッシャー・ディスカウが歌ってい
るこの曲を知った。あわせて、録音が1952年だということも
知った。ディスカウ27歳である。

普通なら三十代、四十代でようやく何とかなりそうな声楽の
技法を二十代で完璧に身につけてしまった人間が、同じよう
な年齢の心情の詩を歌うのだから、一度聴いただけで、再び
聴くことを敬遠した自分の気持ちも理解できるのである。

それで、やはり必要になって重い腰を上げ、ようやくCDを
買った。同時に1978年にバレンボイムのピアノ伴奏による録
音も買った。

……ああ、ディスカウのようなとてつもない巨人ですら、自
らの二十代の表現を超えることができないのだ。彼の声楽の
技法も衰えを見せ、表現の老成はいかんともしがたい。1952
年のあれは、まさに“時分の花”なのである。

好むと好まざるとに関係なく、20世紀後半のリート表現は、
ディスカウを中心に発展してきた。世紀が変わり、今日のリ
ートの世界は、ディスカウの呪縛に囚われることなく多彩な
表現者を輩出している。男性であればイアン・ボストリッジ
やマティアス・ゲルネ。女性はアンゲリカ・キルヒシュラー
ガーやクリスティーネ・シェーファー、アンネ・ゾフィー・
フォンオッターなどなど。いや、それ以外にもリート表現の
可能性を追求する歌手達が輩出してきている。

永遠の規範だと思い込んでいたディスカウのマーラーに、あ
る日取って代わる存在が現れることを楽しみにしている。

サークル“ビール純粋令”推奨協議会

この記事へのコメント

2006年05月29日 22:45
今日この「さすらう若人の歌」を聞いて記事にしました。こちらの記事をご紹介しTBさせていただきました。
1978年盤は聴いたことがないですが、なるほど、この1952年の素晴らしい録音は超えられなかったのですね。
2006年06月01日 12:55
TBとコメントをありがとうございます。

1950年代のディスカウは、例えばリヒター
の『マタイ受難曲』もそうであるように、
若々しい歌声と技量が見事に合致した稀有
なケースだったといつも思います。願いが
叶うなら、その時の実演を聴いてみたいも
のです。

枯れた演奏の味わいと、輝くような青春の
ほとばしりが感じられる演奏と、どちらも
捨てがたいものです。

読んでいただいてありがとうございます。

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