関話§“先生と親”から“教師と親”へ

教育のあれやこれやの問題が堰を切ったように噴き出しているわけで
あるが、自分自身の年齢から大雑把なシミュレーションをしてみた。

およそ40年以上前――地域差とかはあろうが――において、高等教育
を受けた人間の比率は現在とは比較にならないほどのものだったはず
で、1クラス40人の生徒の親で大学(当時だと旧制中学卒以上も含む)
を卒業した親など数えるほどではなかったかと記憶している。翻って
今は半数とかの親が大卒だったりなような気がする。

そうなると、40年前は師範学校とか大学卒業の“先生”だという偉い
存在であったのが、今や同等の経歴を多くの親が持ってしまったこと
によって、先生は“教師”となり、崇める存在ではなくなり、新たな
関係の構築が必要なはずだと思うのだがどうだろう。

教師の側がいくら一段上の存在だと自分達を思わせようとしても、そ
れはほとんど無駄なことで、教師であってもきちんと批判され、その
ことを受け留めるものだという認識を持つべきであると考えるのだ。

このことは、既に自覚されていることであろうと期待をしているが、
相変わらず考えを履き違えているとしたら、その先に物事が進まなく
なるだろうと思う。

【去年の今日】暮話§忘年会のやうなもの

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