舞話§切支丹道成寺~歌右衛門~

古本屋街を冷かして歩いていたら、いつもの店の前の歌舞伎座の筋書
に眼が留まった。

昭和35年(1960年)のもので、歌右衛門が『切支丹道成寺』という作品
を踊っているのである。この作品がいつ初演されたのか、どのような
ストーリーの舞踊であるのか、斜め立ち読みだけで詳しく読まず判然
としない部分は多いが、音楽にグレゴリオ聖歌や電子オルガンを使っ
ているという部分が記憶に残っている。

大成駒・中村歌右衛門という人となりは、新書で読んだ程度の知識で
しかなく、あまつさえ実際の舞台に接したわけでもないが、歌舞伎の
正統を貫いた人というイメージが巨大なのである。

彼のような大役者が古典歌舞伎だけに固執することなく、西洋音楽や
電気楽器を使った上演を歌舞伎座で行なっていることを知り、少し不
思議な気がしたのだ。

というか大役者こそそういう姿勢を示さないと、その分野が後退して
いくことを助長しかねない。守るべきものと取り込みを試みることが
並行して実行されるべきなのだ。

七月歌舞伎座で蜷川幸雄の『十二夜』を再演されるが、この舞台でも
安土桃山時代の西洋音楽を再現したようなものが使われている。古典
を頑なに保持し続けるだけでは歌舞伎が先に進んでいかないと歌舞伎
の世界の人間は痛いほど感じているのかもしれない。

その歌舞伎を観る客のほうが保守的で、いつまでも決まった歌舞伎の
様式美のみに拘泥するのである。その証拠に、今回のコクーン歌舞伎
の試みをこの書き込みで否定している。ひょっとしたら後世に繋がる
可能性をもひょっとしたら否定して消し去ってしまうのではないかと
そんな危惧も感じたりしている。

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