書話§『私はフェルメール』~完璧な贋作~

民放の何たら鑑定団で、実に手の込んだ細工を施した物を見た時に考
えるのは、それだけの労力を費やして贋作を作っても見合わないだろ
う、だから本物に違いないという思いである……。

……ところが、この本の主人公であるファン・ハン・メーヘレンは、
徹底して手の込んだ作業をすることで“完璧な贋作”を生み出してい
たのだった。

10年以上も前にフェルメールという画家を知ったきっかけというのが
贋作者としてのファン・ハン・メーヘレンのエピソードで、そこから
フェルメールを知ったという普通とは逆の順序だったのだ。

“完璧な贋作者”というのなら、メーヘレンがまさにそれであろう。
チューブから絵の具を絞り出すなど、それだけで現代だと白状してい
るわけである。もちろん当時使われていた原料を調達して自分で顔料
を作るのだ。キャンバス地も17世紀の絵を買ってきて、ていねいに絵
の具を取り去ってということから始めるのだ。

そこまでしないとフェルメールを再現して本物と思い込ませることは
できない。いかにして“プロ”を騙すかということに全神経を集中さ
せたのである。

後年、関係者が振り返ってつぶやくのは“見ればとてもフェルメール
だとは言える代物ではなかったのに……”という内容のことだが、何
かのきっかけで、本物だという認定が疑念の存在を押し流していくと
いう事実だったのだ。その道の権威が“真作”だとお墨付きを与えれ
ばそれは真作になってしまうのである。

本の冒頭のカラーページに、メーヘレンの贋作とフェルメールの真作
などが並んでいる。フェルメール好きの素朴な感想はと問われれば、
メーヘレンの作品は、フェルメールの作品と呼ぶにはあまりに違って
見えるのである。もちろん見知ったフェルメールの作と言われるもの
の中にも『取り持ち女』のように、窓辺を題材にした作品群とは違っ
た様子の作品もあって、同一の作者によるものかと思ってしまったり
する。

フランク・ウィンの原著を翻訳したのは小林頼子と池田みゆきの2人
である。小林頼子は長年フェルメール研究を手がけているので、原著
者の誤りなども積極的に訂正していたりする。

ところで“あとがき”の321ページ最終行に珍しい誤植が。。

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