読話§ブログの日常性あるいは非日常性[上]

こちらのブログが先週の14日で四周年を迎えた。ブログ歴とは別に、
本体ページの歴史は超長く、その息の長さを見習わねばならない。

我がブログも4月で丸3年になる。ブログを始める時点で、日記を綴
るとかいう認識を仮にもせよ持っていたら長続きしなかった可能性が
大だった気がしている。

それは、明らかに自分自身の興味のベクトルのあり方の問題なのだと
思うのだが“いいこと”であれ“悪いこと”であれ、過ぎてしまった
ことを思い返してどうこうする性質が希薄だった。なので、小学生の
頃に学校から帰ると、母親が「今日は何があった?」と、あいさつ代
わりのような質問を発するのに対して、答えは常に……

……別に

……で終わり。終わった日常について語る言葉を持っていなかったの
だ。それに自分にとって“日常”なるものは単調なことの繰り返しと
しか感じられず、単純にその日の授業について話をしようと考えたが
内容を一部始終話すべきものとは思えなかったのだ。

それこそ「授業中、先生に指された○○ちゃんが、答えることができ
なかったんだよ。いつもは何でも答えられるのにね……」みたいなこ
とまで逐一話すのかなどと考えていたら、何も描写することができな
くなっていたのである。

高校生のあたりに日記を書いてみたが、長続きすることはなかった。
自分自身の日常に“書くこと”がなかったからである。考えてみれば
十代半ば過ぎた高校生の一日など学校での生活が長く、時系列であれ
これ書くということも考えられず、かといって自分の心情を吐露する
ほどに繊細な生き方をしていたわけでもなかった。

要するに“何も考えていなかった”……のだなあ。
                            [続く]

【去年の今日】劇話§三月大歌舞伎『義経千本桜』昼の部

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