慮話§死を意識したのは

初めて人の死に接したのは確か5歳くらいの時で、大伯父(祖母の兄)
の葬儀に訳もわからず参列し、斎場で骨上げまでしたのだった。

それ以降しばらくは身近な人間の死に接することがなかったおかげか
十代のうちに死を強く意識することはなかったような気がする。そう
はいっても、もちろん記憶に残るさまざまな死には出合っていて、例
えば三島由紀夫の自死であったり、過激派の内ゲバの結末であったり
する。

死がもう少しばかり自分に近づいてきたと感じたのは二十代も半ばを
過ぎた頃だったのではなかろうか。その頃、身近な人間の死が続いた
こともあり、大げさに言えば“永遠の生”などあるわけがないという
事実を思い知るようになったのである。

そこで“さて、自分はどのように死を迎えるだろうか”という意識が
芽生えたような気がしている。誰でもいずれ、遅かれ早かれ、確実に
やってくる“死”という現実を、どのように覚悟し、どのように受け
容れ、そして諦めるのだろうか。

我が残り時間は長くてせいぜい30年といったところである。1929年に
起こった“世界大恐慌”がようやく収束したのは朝鮮戦争以降だから
20年以上の年月を必要とした。現在進行中の経済不振が立ち直るまで
にはそれくらいの、あるいはそれ以上の年月が必要だとすると……。

【去年の今日】自話§尾瀬を歩く~長蔵小屋から帰途~

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