古話§神々は“毛皮”を身に纏っているか

神であるヴォータンが着ていたのは本当に毛皮だったのか?

“普通のファッション”の神様が登場する『ニーベルングの指環』の
舞台にすっかり慣れてしまっているものだから、毛皮姿の神々が登場
する演出には異様に違和感を抱いてしまう。それもこれも初演の時の
衣装がそうだったというだけの話ではないかと。

確かに神話というものが、そういうイメージをもたらしやすいという
ことは否めないし、それがその当時の人々の想像の産物だということ
も否定できない。

だからといって21世紀の我々までもが、そういう遺物のような発想を
受け継ぐ必要などあるまい。

そう考えると江戸期の歌舞伎の想像力は恐るべきものである。千年前
の“大化の改新”の時代を舞台にした『妹背川』も、衣装は江戸時代
その当時の“現代ファッション”ではないか。蘇我氏だろうが何だろ
うが、島田にちょん髷で登場するという、そういう現代人から見ても
“めちゃくちゃ”な発想を見習いたいものではないか。

とかく保守的なものの権化のように思われる歌舞伎だが、その当時は
時代の先端を突っ走っていたということがよく理解できる。だから、
江戸時代では現代劇であっても、21世紀の御世となると伝統的な時代
劇のごとくになってしまい、大化の改新時代の芝居で島田が登場して
も、頭のどこかではおかしいと感じているのだが、観ている時には異
和感をあまり感じていないというのもどこか不思議である。

“現代劇”だったものが時間の経過で“時代劇”に変容していく……
そんな変容の様子をリアルタイムで観察していくことはできないのだ
ということに気がつく。

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