暴話§続・SKDが演奏する春の祭典

[承前]

聴いているこちらにしても“なんじゃこらぁ”と思いつつ、実は楽し
く聴かせてもらった。パワフルな管打楽器とは対象的に、弦楽器組は
自分達本来のスタンスを保って、美しい弦の響きを維持しているが、
そこでイメージしたのは、ベジャールが振り付けた『春の祭典』の中
のたおやかな女性達だったりもする。特に後半に出てくる弦のフラジ
オレットなんかはゾクゾクするような色気なのである。

以前も書いたように、ハルサイを演奏するオーケストラのテクニック
は年々歳々向上していて、1980年代には既に危なげない実演を聴ける
ようになってしまっていた。それが60年代あたりでは、どこかまだ恐
る恐るのようにも感じられたりして、そういうヒヤヒヤ感がまた聴く
面白味でもあった。だからひょっとしてストラヴィンスキーが生きて
いたら、今のすいすいと何の引っ掛かり皆無なハルサイを聴いて……

意図していたのとまったく違う音楽になっている・・・

などと戸惑ってしまうに違いない。ストラヴィンスキーは1971年に死
んでいるから、春の祭典の演奏が徐々にこなれつつあったという時代
までしか聴いていないのだろう。

シュターツカペレの演奏もまた“慣れない”仕事をやっているように
感じられるが、同時にシェイプされた昨今のハルサイの演奏では整い
過ぎて面白味が感じられない時がある。そういう意味ではシュターツ
カペレの演奏は、ハルサイが本来持っている土臭さが感じられるもの
だったりする。

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