自話§我々は日本市民であるのか

別のエントリーで“東ドイツ市民”と書いたところでそういえば……

日本市民

……って言わないなあと思った。そんな言葉のあれこれはどうでもい
いということはさておいて、普通の言い方だと“日本国民”というこ
とになり、どうしても日本の国に帰属している民というニュアンスに
読めてしまう。

そこまで考える必要はないのだろうが、日本人に“市民意識”がなか
なか育たなかった一因が、そんなところにあったりするのだろうか。
などと書きながら、それでは“市民意識”とはいかなるものかと考え
るが、下手な考え休むに似たりで真っ当な答えを見出すことができな
い。

おおよそ適当に考えるなら“もう少し発言する市民”といたっところ
だろうか。それこそ、あそこまで到達しなくてもいいかなと思われる
極端な例は、フランスの人達である。彼らは何かというとストライキ
を起こして自分達の言い分を表出する。

日本人にあれほどのことができるとは思わないが、物言う人達が増え
ていくことで、物言わぬ人達も何かしら考える契機になってくれれば
などと思うわけである。

今のような気まぐれなポピュリズムの噴出は、形としてはとても危険
ではないかと思っている。ではあるが、こういった傾向があっさりと
沈静化するわけでもなく、その気まぐれが誤った方向に向かうことが
懸念されるのだ。

【去年の今日】憬話§このたびの旅[1]25泊27日

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック