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zoom RSS 源話§九月大歌舞伎夜の部千秋楽

<<   作成日時 : 2009/09/29 22:11   >>

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幸四郎には点が辛くなる。やっぱりというかどこかが違って感じられ
る弁慶である。

まず『鞘當』に『鈴ヶ森』が続く。2度目の『鞘當』だが、相変わら
ず何の話なのかなとしか思えない。幕切れの近くに二人を止めに入る
芝雀きっぱりとしていたくらいか。

『鈴ヶ森』は吉右衛門の幡随長兵衛がよかった。こういう肚の据わっ
た役になると、吉右衛門の特質が生かされるのだろう。何というか、
濃厚な空気が漂いまくっていたのだった。

さて“またかの関”なる『勧進帳』である。幸四郎の弁慶は……全然
よくない。感動がないのだ。本人が“工夫”していると思われる弁慶
に深みが感じられなく、表面でサラサラと動いているだけで、例えば
富樫や義経、それに四天王達との心理的な綾のようなものも感じられ
ないのだ。幸四郎の孤高の境地というならいいのだろうが、そうでは
ない。単に“ひとりごち”ているだけとしか思えない。だから千回と
いう上演回数には、何の意義も見出せなかったりする。

歌舞伎の世界は、若いうちには教えられたり叱られたりすることなど
いくらでもあるのだろうが、五十代や六十代になってしまうと、変だ
と思っても誰かが注意したりすることなどありえないことだろう。

富樫を演じた吉右衛門の情が深々ふところが深かったのに比べると、
性根の感じられない弁慶である。染五郎の義経だが・・・義経は本当
に難しいものであるとしみじみ。

最後の“お土砂”は――これも長兵衛だったw――打って変わって、
飄々とした吉右衛門のボケを楽しんだ。それはともかく江戸に誰某が
攻めてくるからどうのこうのという何ともな前提だもんだから、そこ
から紅長がお土砂を撒きまくって人という人をグニャグニャにしちゃ
うという流れを掴み損ねてしまった。前回、菊五郎で観た時もその程
度で、ろくに筋など追っていなかったのがよくわかる。

“八百屋お七”で福助の人形振りはずいぶんと重い感じを持ってしま
った。そりゃあ文楽人形と比べるほうがおかしいのではあるが。

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