壁話§東欧ドミノから20年<Ⅴ>

[承前]

こうして1989年の秋に東欧の社会主義政権は雪崩をうって倒壊した。
だが、それで“めでたしめでたし”という流れにならなかったのは、
ユーゴスラヴィアの眼を覆いたくなる内戦の凄まじさの記憶があるか
らである。

20年という年月の間に、多くの旧東欧の国がEUに加盟を果たした。
そうすることが“先進国”へのパスポートであるかのように我も我も
と加盟を求めていったが、果たしてEUの一員になったご利益がどれ
ほど享受できているものかと想像する。

いずれにしても東欧の状況は、まだまだ“道半ば”であることは否め
ない。

もう6年も前のことだが、ドイツ最東端であるといっていいゲルリッ
ツという小さな街を訪れたことがある。ゲルリッツの街中から歩いて
10分足らず、ナイセ川を挟んだ先がポーランド領“ツゴルジェレツ”
という街なのだが、もともとは川を挟んで一つの街だったということ
である。現在は異なる国の街に分かれてしまっている。

国境の橋は、歩いて渡ることもできる。橋の両側にそれぞれの国境検
問所があって、パスポートをチェックしてスタンプを押してくれた。
ただ、いつもと違ってポーランドへの入国検査の窓口では――なぜか
――必要以上に緊張したことを覚えている。体制が変わっていてでも
そう感じたのだから、社会主義体制下ではいかばかりだったことか。

↓ゲルリッツから国境を越えてすぐのツゴルジェレツ
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ポーランド領に入ると建物の傷みとか汚れが目につき、いささか殺伐
とした雰囲気も感じられたのだ。ほんの半時ほどの国境往来だったが
そうしている間にも自動車はもちろんのこと、人々の行き来も頻繁に
行なわれていた。どちらかというとポーランド側からゲルリッツに仕
事などで来ているように感じられた。

↓人気のない街中の様子
画像

我々が訪問した直後にポーランドはEU加盟を果たしたが、おそらく
ゲルリッツにおける人の流れは、その当時と大きく変わっていること
はないだろう。

来週は11月、ベルリンの壁が解放された9日は眼の前である。

【去年の今日】憬話§このたびの旅[40]パルジファル<Ⅲ>

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