伊話§イタリア紀行~我もまた!~

ゲーテがワイマールの仕事から逃れるために、突然滞在先のカールス
バートからイタリアに向けて逐電したのは1786年で、ゲーテが37歳の
時のことである。

我もまたアルカディアに!

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……という颯爽たる“捨て台詞”を残して、ワイマール公国の公職か
らトンズラしたのだったが、それからが速い速い。

個人的に地理に覚えがあるのは、大雑把にレーゲンスブルクあたりか
らヴェローナまでという程度で、それも断片的な切れ切れでしかなく
だから『イタリア紀行』を最後まで読み進めることはなく、いつもヴ
ェローナで中断してしまうのだ。

それはまあしかたがない。同じ紀行文学でも、松尾芭蕉の『おくのほ
そみち』と似ているようでいて、まったく様子が違うのである。

唯一類似しているのは“旅の動機”であろう。芭蕉が“松島の月”を
挙げて旅のモチベーションにしたのに対して、ゲーテもまたローマへ
の激しい“渇望”を書き記している。それは北ヨーロッパに生まれた
人間だったら誰もが持つ憧憬であるし、ゲーテもまたイタリアの誘惑
から逃れることはできなかった。

ちなみに馬車を使っての旅は平均すると10km/h足らずで、ジョギング
するようなスピードである。そんな馬車を駆使したゲーテは、昼に夜
にと馬車を乗り継ぎ、5日間でブレンナー峠までたどり着いている。
その距離約550km。アウトバーンが発達した現代のヨーロッパであ
れば半日で到達する距離なのだ。

そしてゲーテはローマを目指して峠を駆け下っていくのだった。

追記:しつこく確認のために書いておくが、ゲーテは1749年に生まれ
て、1832年に没している。生まれた時に大バッハは存命だったのだ。
そしてモーツァルトより早く生まれ、ベートーヴェンやシューベルト
よりも後に死んだ。


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