鼠話§バイロイトの『ローエングリン』

25日に開幕したバイロイト音楽祭、初日はハンス・ノイエンフェルス
演出の『ローエングリン』だった。

ZDFのニュースページで、ほんの数十秒ほどの舞台映像を見た。ブ
ラバントの民が実験用のラット姿になっていた。相変わらず、聴衆に
考えさせる読み替え演出だと思いつつ、あれっぽっちの極少な情報で
今回の演出がどういうものか勝手に想像しているのだ。

ストレートな解としては、オルトルートの“魔術”で姿をネズミに変
えられてしまったということだろう。なぜネズミなのかまでは読めず
である。

エルザの背におびただしい矢が刺さっていたが、彼女もまた“白鳥の
化身”ということだろうか。

自分自身がオペラを観始めた1980年代、ヨーロッパでは既に読み替え
演出が珍しいものではなくなっていた。

日本でヨーロッパの今を象徴する演出の舞台上演が行なわれたのは、
1987年ベルリン・ドイツオペラ来日公演の『ニーベルングの指環』だ
ったと思われるが、四半世紀が経つにもかかわらずオペラの会場で聞
こえてくるのは“ト書きどおりの舞台を”というものだったりする。

そういう声はが出るのは、やはりというか舞台を見せる側と観る側の
経験差というものも大きいのだろうが、また固定観念に縛られている
という要素もありはしないだろうかと思うのである。

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のように時間と空間が確定
しているような作品を別にすれば、西欧の人間にとっての神話という
舞台は、演出家によっていかようにも表現することが可能なのだと、
そういうことを前提として臨まなくてはならないのではなかろうか。

要は眼の前に提示されたその手の舞台が陳腐なのか、それとも、はっ
きりと何かを主張しているのかを見分けられるかということなのだ。

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