愉話§シューマンの管弦楽法・・・
オーケストラのような大編成の曲を、微に入り細を穿って聴くことな
ど、素人にはできるはずもない。あんな膨大な音塊を隅々まで聴いて
いると思い込むこと自体が間違いである。
そんなくせして、大昔に読んだ“シューマンのオーケストレーション
は未熟である”とかいったような趣旨の評論が頭に残っているという
のは始末が悪いことだなと思う。
この数年で彼が書いた4つの交響曲を聴く機会が増えて、お気に入り
に入ってきているのだが、それこそ聴きながら“ここのオーケストレ
ーションはまずいんじゃないの?”などと感じたことなどはないぞ。
そういうことが事実かどうかは別にしてもシューマンの交響曲が取る
に足らない存在であるはずもなく、ひたすら音楽の流れを楽しんでい
るということである。
そういえば、ほとんどお節介としか思えない人として、マーラーなる
作曲家がいて、彼としては“実際に聴こえる”という前提で、ベート
ーヴェンやシューマンの楽曲のオーケストレーションの改変を行って
いるということだが、それこそ“素人”にはわからない何かがあるの
だろう。
ただ、マーラーの管弦楽法とシューマンのそれは当然違うわけで、シ
ューマンの流儀をマーラーの流儀に合わせてというのは意味があるこ
となのだろうかと、聴き取れないままの疑問なのである。
《オーケストラのトピックス一覧》
ど、素人にはできるはずもない。あんな膨大な音塊を隅々まで聴いて
いると思い込むこと自体が間違いである。
そんなくせして、大昔に読んだ“シューマンのオーケストレーション
は未熟である”とかいったような趣旨の評論が頭に残っているという
のは始末が悪いことだなと思う。
この数年で彼が書いた4つの交響曲を聴く機会が増えて、お気に入り
に入ってきているのだが、それこそ聴きながら“ここのオーケストレ
ーションはまずいんじゃないの?”などと感じたことなどはないぞ。
そういうことが事実かどうかは別にしてもシューマンの交響曲が取る
に足らない存在であるはずもなく、ひたすら音楽の流れを楽しんでい
るということである。
そういえば、ほとんどお節介としか思えない人として、マーラーなる
作曲家がいて、彼としては“実際に聴こえる”という前提で、ベート
ーヴェンやシューマンの楽曲のオーケストレーションの改変を行って
いるということだが、それこそ“素人”にはわからない何かがあるの
だろう。
ただ、マーラーの管弦楽法とシューマンのそれは当然違うわけで、シ
ューマンの流儀をマーラーの流儀に合わせてというのは意味があるこ
となのだろうかと、聴き取れないままの疑問なのである。
《オーケストラのトピックス一覧》
この記事へのコメント