舞話§玉三郎を初めて見たのは・・・

坂東玉三郎という歌舞伎役者が話題になっているということを薄っす
らと認識したのは1970年代前半のこと。

もちろんその当時は歌舞伎に興味があったわけではなかったから、彼
がどういう位置にあるとかそういうことを知っていたわけではない。
ただ、歌舞伎の家に生まれたわけではなく、子供の頃に守田勘弥の芸
養子になったということくらいを知っていただけである。

それで、東京に出てきた1973年である。月に2回、渋谷公会堂で『題
名のない音楽会』の録画が行われていて、入場整理券を送ってもらっ
ていたのだ。そして5月頃だったかのゲストが玉三郎ということを知
って興味津々で会場に向かったのだ。

いつものとおりの開場1時間前くらいに到着したら、驚くなかれ!行
列が正面から交差点を過ぎて、渋谷税務署まで伸びていたのだった。
普通なら1階席のいいところに座れるはずが、1階席はとっくに満席
で、2階に上がってみたものの席は見当たらずで、しかたなく客席と
客席の間の階段通路に腰掛けたのである。

録画するのは毎回2本。登場した玉三郎は、当時流行していた裾の広
いパンタロンを履いていた。そして遠目にも彼が実にスリムな体型だ
ということがよくわかった。

番組はまず、彼が愛聴している“アランフェス協奏曲”にまつわる詩
を玉三郎が朗読。そして『藤娘』を踊るという流れなのだが、顔と衣
装に1時間近くかかるということで収録は中断。その間に、もう一本
の番組を収録するという変則的なものだった。

そして玉三郎が藤娘になって登場したその時、23歳の玉三郎である。
歌舞伎が何であるかはわからなかったが、玉三郎が美しいことだけは
認識できた。

そういうことが根底にあり、30年ほどの熟成を経て自分が歌舞伎を観
るようになったということは間違いなかろう。

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