劇話§歌劇場のジワと歌舞伎座のジワ

ドイツやオーストリアでオペラやコンサートに行って、ホール内の空
気の違いに気がついたのは1990年代半ば過ぎだったか。

オペラの引越し公演はもちろん、来日オーケストラであれリートのリ
サイタルであれ日本のコンサートは、よく言われることだが集中度が
高い。ただし、妙に取り澄ましたような感触もあるし、ステージとの
間にどこか遠慮のようなものも感じられる。

ところがドイツあたりの客席は、常にざわつきがあるのだ。それも、
オペラだったら序曲や前奏曲が始まっても、何となく開演前からのざ
わつきを引きずっているように感じる。時にそれは、異邦人にとって
は集中力がないんじゃないのと思わせるところがなきにしもあらず。
ただし、気がつくとそんなざわつきは何処へと消えていて観客が集中
していることに驚かされるのだ。

日本で同じことに気がついたのは10年前、歌舞伎を観始めてしばらく
してからのことである。とりわけ昼の部最初の演目などは、義太夫が
語り始めても、まだざわついている。歌舞伎では、遅れて入場できる
こともあって、ざわつきが長い。

しかしというか、芝居が進むにつれてざわめきが集中へと転じていく
のがわかる。それは特に時代物の時に強く感じられて、いつかも書い
たことだが『仮名手本忠臣蔵』四段目“判官切腹”の場面は、客席が
水を打ったように静まり返るのである。

オペラにせよ歌舞伎にせよ、要するに自分達のホームグラウンドでの
鑑賞は、長年培われてきた共通認識という土壌のようなものがあるが
ゆえに、観客が集中する時のベクトルが同じ方向を向いているのでは
なかろうかと思ったのだ。

だから“ジワ”と呼ばれる、感情の移入のようなものも、洋の東西で
類似しているように思うのであるが、どうだろうか。

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