音話§シューマン第2交響曲日本初演は
これが驚くことに1963年というのだそうだ。他の交響曲の初演も1920
年代後半ということだから、異常に遅かったということができるので
はないか。
比較するわけではないが『春の祭典』の日本初演は1950年ということ
だから、初演から37年後のこと。
というわけで、日本におけるシューマンの交響曲受容の遅さに驚かさ
れた。それ以外のシューマンの作品、それこそトロイメライのような
ピアノ曲とか歌曲は比較的早い、明治の頃には入ってきたものと思わ
れる。
日本でオーケストラが作られたのは1870年代だが、常設として組織化
されたのは1920年代まで待たねばならなかった。要するに日本のクラ
シック事始はワーグナーの晩年近くに発祥するということなのだ。
それにしても、新響(現・N響)が発足した直後には4番が九大フィル
ハーモニーに、3番が新響によって初演されているというのに、なぜ
交響曲第2番が戦後20年近くなってようやく初演されたのだろうか。
そのあたりの事情がわかる人はいねがー。
《クラシックのトピックス一覧》
年代後半ということだから、異常に遅かったということができるので
はないか。
比較するわけではないが『春の祭典』の日本初演は1950年ということ
だから、初演から37年後のこと。
というわけで、日本におけるシューマンの交響曲受容の遅さに驚かさ
れた。それ以外のシューマンの作品、それこそトロイメライのような
ピアノ曲とか歌曲は比較的早い、明治の頃には入ってきたものと思わ
れる。
日本でオーケストラが作られたのは1870年代だが、常設として組織化
されたのは1920年代まで待たねばならなかった。要するに日本のクラ
シック事始はワーグナーの晩年近くに発祥するということなのだ。
それにしても、新響(現・N響)が発足した直後には4番が九大フィル
ハーモニーに、3番が新響によって初演されているというのに、なぜ
交響曲第2番が戦後20年近くなってようやく初演されたのだろうか。
そのあたりの事情がわかる人はいねがー。
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