信話§祈る言葉

仏教であれ神道であれ、日本の宗教には神と対話する、あるいは神に
向かって訴えるとでもいった祈りの言葉というものが存在しているの
だろうかと考えてみた。いかに宗教音痴であるかがわかるお話です。

そうはいっても、少しばかり知っているのはキリスト教で、自分が知
っている範囲でというならば、主の祈りに代表されるような神に対し
て感謝を捧げつつ自分達の平安をも願うという、それが祈る言葉なの
ではという認識である。

どうしてそんなことを考えたのかというと、先々週のメータが指揮し
ての第九の会場で、演奏の前に黙禱が捧げられたのだが、その時に思
ったのは、月並みな被災地への思いということのみで、その先に宗教
的な思い入れがないものだから、それ以上に祈念するということはで
きなかったのだ。

さらに神様仏様に対しての祈りの言葉の存在を知らないものだから、
どのように彼らと対話したらいいのかがわからないのである。宗教心
が希薄だから、今さらそんなことを考える必要などそもそもないのだ
ということはわかっているのだが、こうして眺めてみると、キリスト
教の祈りの言葉は、様々なバリエーションを自由に繰り出せるので、
実に便利なものであるのだなと思い至ったのである。

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この記事へのコメント

2011年04月28日 19:12
すっかりご無沙汰しておりました。
お元気でいらっしゃいますか?

今回のブログを読ませていただいて、何の宗教であれ、祈りの形、祈りの言葉をもっていると言う事の幸せに気づかせていただきました。
でも一方で、信仰をもつ人々が、形だけ、言葉だけの祈りで満足してしまう、という場合があることも否めません。今回の震災に当っても、被災された方たちのために「真実をもって祈る」ことがどんなに困難か、身をもって実感しています。
HIDAMARI
2011年04月29日 08:02
こんにちは。はい覚えております。

日頃より不信心なものですから、祈るというよりは“お願い”にしかなっていないとしか思えません。神と向かい合うとか、それがどういうことか、自分の中で理解されていないのかな。これも先々の課題のようです。

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