鍵話§内田光子リサイタル(2011.11.04)

モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 op.6
*
シューベルト:ピアノ・ソナタ イ長調 D959
*
アンコール/モーツァルト:ピアノ・ソナタ ハ長調 K.330 2楽章

プログラムにも書かれていたことだが、表現するというなら、内田光
子ほどに微に入り細を穿つピアニストがどれほど存在するだろうかと
思う。それほどに手練手管を動員して演奏されるのだ。

一曲目のモーツァルトは指慣らしというか、満員のホール空間の音響
を確かめるという意味合いでもって、後日演奏曲目追加されたされた
ような気がしないでもない。何度か聴いているが、何度聴いてもわけ
のわからない不思議な音楽である。途中、馬鹿者が携帯を鳴らした。
その後も不用意な咳などが散見された。どうして、せめては口を覆う
とかできないのだろうか……。

2曲目のシューマンは、その“微に入り細を穿つ”という言葉通りに
多様な楽想の18曲、手練手管の限りを尽くしての演奏が展開された。
冒頭の2曲ほどは響きすぎるサントリーホールのアコースティックに
モコモコした音が聴こえたが、徐々に解消されて、最後まで緊張感が
保たれたのだ。

そして休憩後にシューベルトの50分になんなんとする後期ソナタの一
曲が演奏された。ダヴィッド同盟とシューベルトのソナタという、ま
ったく傾向の違う曲を立て続けに演奏するというのは、聴くだけの素
人には想像することがまったくできない。ダヴィッドは異なる楽想の
18曲をまとめ、ソナタは楽章を通じての組み立てを要求されるのでは
ないかと考えたのである。

相変わらずシューベルトは苦手だ。モチーフを把握しきれないことが
大きな理由だが、この日最後まで聴き通すことができたのは、彼女の
ていねいな弾き分けに負うところが大きかったと思う。終楽章の爽や
かな空気の下で口笛を吹くような音楽に至って、我々の心も穏やかに
落ち着いていったのだ。

そういえば、9月に旅行した時に、若手男性ピアニストが同じソナタ
を弾くのを聴いたのだが、これが意欲空回りの演奏で、聴いていて実
に長く辛い時間を過ごしたことを思い出したのである。

そういう意味で、表現の引出しを多様に持つ音楽家のみが、シューベ
ルトのソナタのような難物を演奏する資格があることに思い到った。

アンコールで演奏されたのはモーツァルトのハ長調ソナタの2楽章。
聴いていて、てっきりシューベルトだと思い込んでいたお粗末。

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