板話§中村座五月大歌舞伎夜の部[下]

[承前]

江戸随一『志賀山三番叟』の舞台は、江戸時代を再現したかのような
薄暗い蠟燭という趣向の中で踊られた。

勘九郎の三番叟に鶴松の千歳……派手な動きは少なく、これが原型な
のかと思わせるのだった。派手さはないものの、勘九郎の踊りは丁寧
かつ正確で“あるべきところ”に手足や体全体、そして頭が行くよう
に感じられる。

そして、新橋の襲名興行の時にも書いたことだが、勘九郎の踊りには
古臭さがまったくなく、あるのは“今”そのものなのだ。起伏に乏し
い20分ほどの舞が、これほどに充実するものかと感心したのだった。
夜の部の見ものはこの三番叟だった。

そして『髪結新三』である。もちろん中村屋の十八番ともいうべき芝
居で、あれこれ文句のつけようのない仕上がりには感心したが、残念
ながら感銘したかというと、そこまでには到らずだったという感想。

勘三郎の新三、勘九郎の勝奴の息もぴったりなのだが、彼らの演技が
締まれば締まるほど他の役者とのギャップが生じたような気がした。
特に、初役という橋之助の家主長兵衛が、あまりにも“作り過ぎ”の
老大家で戯画化もほどほどが肝腎という出来だった。

この座組だったら彌十郎が長兵衛のほうがいいだろうに。弥太五郎源
七に回ってしまった。彌十郎の弥太五郎も、今ひとつしっくりこない
ままだと感じたのである。

芝居の座組とバランスは難しいものだとつくづく。いわば気心知れた
“一座”であっても……うまく事が運ぶわけではないのだ。

《歌舞伎のトピックス一覧》

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック