環話§我々の東京オリンピック1964年

オリンピックの“商業化”は1984年ロサンゼルス五輪に起源がある。

組織委員長だったピーター・ユベロスを先頭に、スポンサーをかき集
めたり放映権料をふんだくった結果、黒字運営の大会となり、その後
に続く商業主義オリンピックの端緒となったのだ。

1976年のモントリオール以降の大会にすっかり興味を失ってしまった
わが身にしてみれば、1964年に東京で開催されたオリンピックこそが
“らしいオリンピック”だったと思ってしまう。

それはもちろん失った遠い時代に対するノスタルジーの部分が大きい
わけで、そのことは否定しない。だが、商業化が進んでからの開会式
の仰々しさに比べて、必要最小限で整然と進行した東京大会のシンプ
ルさが、いっそ懐かしいのである。

そういえば埋もれたままだった『オリンピック賛歌』が発掘されて、
それが復活したのも東京でのことだった。美しいメロディーが途中で
転調することでさらに美しくなる。オリンピックにふさわしい曲なの
に、それすらも開会式の中で埋もれているように思われてならない。

選手のためのオリンピックでは、もはやなくなってしまっているので
はないかと、もう長いこと開会式を見ては感じることなのだ。

しかし、巨大化したオリンピックが後戻りすることは不可能である。
東京大会の時に参加した国と地域は94。今回のロンドン大会は204
と倍いじょうなのである。仮に東京でのオリンピックが実現したとし
ても、48年前と同じような運営方法が通用するはずもないのである。

《スポーツのトピックス一覧》

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック