拘話§負けて謝る吹奏楽部の不思議

実際に見ていないので、聞いた話だけで書いてみる。なので事実関係
の細かいところは異なると思うが、おおまかな話と、それについての
感想のようなものである。

吹奏楽コンクールの入賞常連高校吹奏楽部が、入賞できなったある年
のこと、メンバー全員が、先輩やOBに詫び行脚としたというのだ。
そして何という馬鹿馬鹿しい話だろうかと思ったのだ。

結局は、コンクールの“悪しき弊害”の象徴のような出来事だったの
ではないか。多くの“強豪”と呼ばれるクラブにとっては“勝つ事”
が第一義で“いい音楽を演奏して聴いてもらう”というのは二の次の
ように思われる。奉仕すべきは音楽であり、聴いているお客であるは
ずなのに……。

新国立劇場のコーラスを世界でも有数の合唱団に育て上げた三澤洋史
が、審査員をした中学と高校の合唱コンクールについてこんなページ
を見つけた。ほぼ全編にわたって苦情&注文のオンパレードで、そこ
には、こんなことも書かれているので。以下に引用してみよう……

逆の言い方をすると、新国立劇場合唱団が、先日演奏したモンポウの合唱曲や「ダフニスとクロエ」の合唱部分を持って全国大会高校生の部に乱入したら、たぶん金賞は取れない。

もっと極端な例を挙げると、吹奏楽コンクール全国大会にベルリン・フィルが(ジャンルはやや違うが)乱入したら、やっぱり金賞は取れない。

そこは一種の閉じられた世界である。僕が世界で一番と呼ぶ高校生合唱のアンサンブルではあるが、プロの合唱団との間には、ある避けがたい溝が横たわっているのだ。


……つまり、あまりにもテクニック重視に偏ってしまっているのでは
ないかという大きな危惧を三澤が抱いているということなのである。

“何を言うか、コンクールとは勝ち負けの場である!”という考えが
あるのは百も承知だが、それがために吹奏楽も合唱も、ハイレベルな
技巧のみを追求し過ぎではないかということは100%うなずけるのだ。

合唱のコンクールを聴いていて、あまりに複雑なハーモニーの連続に
唸りはしても感心をしないことが多いのは、三澤が書いている中に答
えが存在している。……世界のトップクラスにあるオーケストラも合
唱団もテクニックを超越した“豊かな音楽性”を持ち合わせているの
である。

あまりにも整然としたテクニックとハーモニーを聴きながら、某国と
某宗教が行う不気味なマスゲームの光景を思い浮かべているのだ。

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この記事へのコメント

2012年11月29日 22:32
私も全くその通りだと思います。凄腕管楽器奏者が揃っているシカゴ響やロンドン響でさえも吹奏楽コンクールに出場したら、金賞は取れないでしょう。確かに、吹奏楽コンクール全国大会に出場する団体の演奏は技術とハーモニーは見事ですが、それ以上の感動がなく、まるでファミリー・レストランの食事のようです。
お詫び行脚とは、まさに「某国と某宗教が行う不気味なマスゲームの光景」ですね。私も同じような光景を目の当たりにしたことがあります。全国大会で金賞を取った高校がその翌年、無念の県大会落ちで、支部大会へ進めなかったのです。その時、部員の多くが「先輩に顔向けできない。」と泣き崩れていました。賞なんて別にどうでもいいと思うのですが、「コンクール=勝負」と考える弊害なのでしょう。

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