悼話§中村勘三郎さん(先代中村勘九郎)

十八代目中村勘三郎が死んだ。常々、自分より年若い人間の死を見る
のは辛いと言っているが、一歳年下のほぼ同世代の死を見るのは辛く
悲しい。書きたいことはたくさんある。

2001年11月、平成中村座で観た義経千本桜『知盛編』『権太編』
勘三郎を観た最初だった。小さい芝居小屋での熱演にすっかり当時の
勘九郎に感化され、せっせと歌舞伎見物に通うようになって11年が過
ぎたところで、そんな導き主の訃報を聞くとは。

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うっすらとだが病状が思わしくないなあと感じていたが、もちろん新
しい歌舞伎座の柿落としに出演して元気な姿を見せてくれると思って
いた。それは本人も同じ思いだったはずである。

役者として、ひとえにお客さんに喜んでもらえるような舞台を務めて
いて、そのことにかけては天才的だったと言っていいだろう。伝統芸
と新しい風をバランスよく取り込んで、中村座やコクーンで彼独自の
世界を構築していった。

彼ほどのエネルギーを持った歌舞伎役者を他に知らない。そうである
がゆえに、彼の中のストレスの大きさはいかばかりだったかと思う。
テレビ番組の中で――それは気楽な番組だったが――酩酊して呂律が
回らなくなってしまったところも見たことがある。よく無茶をしてい
たようだが、それもこれも舞台から受ける巨大なプレッシャーである
がゆえのことだったのだろう。

トップクラスのボクサーの中には、自分が繰り出したパンチで指を骨
折するということを聞いたが、勘三郎は自身のエネルギーで自分を蝕
んでいったように感じるのだ。

もう彼の実演の舞台を観ることはできない。最後に観たのは今年5月
の中村座『め組の喧嘩』の辰五郎。大きく記憶に残っているのは、一
昨年歌舞伎座が閉場する4月千秋楽の『連獅子』の凄まじい気迫。

そんな中で、2008年にコクーンで観た『夏祭浪花鑑』のカーテンコー
ルで「一日に2回演る芝居じゃないんすよ」という彼の述懐を聞いた
時、同世代として疲れているなと感じたのである。

たくさんの舞台を見せてくれてありがとうと感謝しつつ、我々が観た
のは“勘九郎”のそれで、勘三郎の円熟はまだまだこの先の楽しみと
考えていたが、それが叶わなくなったことが残念でくやしい。

57年と6か月の生涯を駆け抜けていった勘三郎の死んだ12月5日は、
1791年にモーツァルトがウィーンで死んだ同じ日である。朝、ベラン
ダに出たら、真っ白な富士山がくっきりと姿を見せていた。もう彼は
我々と同じ富士山を見ることがないのだと思った時の喪失感。

中村屋っ!

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