祝話§柿葺落四月大歌舞伎第一部[中]

[承前]

子供が舞台をさらっても、その後にすかさず正しい“大人の芝居”を
見せるのが歌舞伎というものである。昼食休憩の後は吉右衛門の『熊
谷陣屋』が、1時間半の長丁場で上演された。

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吉右衛門の直実は、2010年の御名残四月大歌舞伎にも出て、これがま
た見事な舞台で記憶に新しく、さて3年後に観る直実はいかにという
興味である。

揚幕が静かに開いて直実の出は、客席が水を打ったように静まり返っ
たのだ。七三で手にした数珠を深い思い入れで見やり、決然と袂に入
れて本舞台に向かう……その一連の動作には一点の瑕も見当たらない
年月を重ねたがゆえの円熟を感じた。

そして玉三郎の相模との対峙。これまでに観た相模とはまったく違う
相模の描き方に戸惑ってしまったのだ。まずもって、初陣の息子小次
郎が一番で夫など眼中にないがごとく……これまでの『熊谷陣屋』で
は、相模も藤の方も直実に沿っていって、最終的にはすべてが直実に
収斂する一極構造だったのが、今回は舞台上に直実と相模と極が二つ
できたしまったような気がしたのだ。

そんな玉三郎の行きかたを受け留められるのは、吉右衛門のよう役者
しかいないだろう。ある意味では相当にわがままな演技で、相模が藤
の方に向かって敦盛の首と偽った、実は小次郎の首を見せるところで
首をかき抱き頬ずりまでしてみせるというのは相模の“型”にはない
んだそうである。

そんな二極構造の中で、菊之助の藤の方や歌六の弥陀六がワリを食っ
てしまったような印象を持ってしまった。仁左衛門の義経は、直実と
相模の二極構造に抗うことなく、慈愛に満ちた空気感を醸していた。

幕が引かれ、三味線の“愁い三重”に送られて直実の引っ込みもまた
覆いかぶさり、押し寄せる悲しみを耐えに耐えて振り切るように揚幕
へ消えていったのだ。いい時代に吉右衛門を見ることができた幸福。
                            [続く]

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