傷話§裁判員とトラウマ

公判中に証拠として提出された殺人事件の死体画像を眼にした裁判員
が、心的ストレスを抱えることになってしまったとして、損害賠償の
訴訟を起こすというニュースを読んだ。

これは何とかならないものかと思う。

最高裁のホームページの裁判員制度に関するQ&Aもあって、死体画
像についての記述もある。しかし、これだけでは拒否できるものかど
うかが実に曖昧な表現でしかない。それに、選任されて法廷の場に臨
んだ時、各人が“私は見ることができません”と拒否することはでき
ないような状況ではないかと考えられる。

そんな雰囲気の中で、見たくないものを見てしまった結果として、心
的ストレスに苛まれるとしたら“やらなければよかった”と思う人が
続出してもおかしくはないだろう。まじめに参加した結果がこうでは
後悔先に立たずではないか。

それこそQ&Aの中の“できる限り裁判員の負担の少ない方法になる
よう配慮したいと考えています”なる文言は、何の担保にもならず、
結局は見ることになってしまうのは必定だろう。配慮をしていますよ
というのは単なるポーズだけである。自分の身は自分自身が守らなく
てはならないのだ。

配慮するというならば、見ないでも済ませられるシステムを構築する
べきで、曖昧な文言で結果的に犠牲を強いるやり方は卑怯ではないだ
ろうか。

【去年の今日】諧話§一日一句~しとしとと~

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