祝話§柿葺落六月大歌舞伎第三部[下]

[承前]

さて『助六由縁江戸桜』の続きをまとめておく。全編“悪態の初音”
ということである。

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花形役者だから、まだまだ未熟なのだという言い方は珍しくもなく、
それは十分に理解するとして、それでは伸び盛りである他の若手役者
と比べても、海老蔵は口跡と演技、所作のすべてが歌舞伎から遠いと
ころにあるように見えてしまう。

幸四郎とはまた別の意味で高い声を使うものだから、やはり台詞が聴
き取れない。おそらく稽古で指摘されても、言われたことができない
のか、あるいは“俺のやり方”なのか、一向に改善の気配がない。あ
るいは役者として、まずは真似をして覚えるという基本的な能力に欠
けているのではないかとすら感じた。

幕内から間接的に伝わってくることだから話半分に薄めるにしても、
父親團十郎のダメ出しにも耳を貸さなかったとか“おじさん達”も匙
を投げたとか、そんな話を聞くだけでも何ともやり切れない気分にな
ってしまう。

そんなだから、左團次の髭の意休、吉右衛門のくわんぺら門兵衛に、
菊五郎の白酒売り、三津五郎の通人、菊之助の福山といったあたりが
おもしろおかしく舞台を盛り上げて客席を沸かしはしても、肝腎の助
六がちっともおもしろくない……舞台の中心が巨大な空虚になったか
のようである。

型ができていないから所作が汚い、大げさにデフォルメされたような
演技をするから、知らない客は喜ぶが、単なるドタバタとしか見えな
いのだ。花形だから“演技は未熟だが元気はいい”というのとも違っ
て、単なる独りよがりに堕している様なのだ。この先はたして一皮も
2皮も剥けて成長するものだろうか。

という暗澹たる話とは別に「歌舞伎十八番だから成田屋」という窮屈
な枠にこだわらず、他の役者も助六などの役を演じて見せてほしいと
思う。あっという間に二枚の大看板を失った歌舞伎界が、この先の可
能性と裾野を広げていってほしいと思うのだが。

というわけで3か月三部制の柿落とし公演が終わろうとしている。個
人的には幸四郎と海老蔵の二人の舞台は、当分しばらく先々スルーで
いきたいでござる。

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