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zoom RSS 調話§アンドレアス・ショル〜武蔵野〜

<<   作成日時 : 2013/10/16 00:01   >>

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三連休の初日、武蔵野までカウンター・テナーのアンドレアス・ショ
ルが歌うドイツリートを聴いてきた。レパートリーを広げていこうと
いうショルの意欲的な試みである。

プログラムは、ハイドンに始まり、シューベルト、ブラームス、モー
ツァルトを混在させた凝った構造のもの。間に伴奏者タマル・ハルペ
リンの独奏曲が3曲ほど挿入されていた。

ハイドン:
  絶望
  さすらい人
  回想
シューベルト:
  ワルツ Op.18-6(ピアノ・ソロ)
  林にて D738
  夕べの星 D806
  ミニョンに D161
  君は我が憩い D776
ブラームス:間奏曲 Op.118-2(ピアノ・ソロ)
モーツァルト:すみれK.476
ブラームス:かわいいあの娘は、ばらの唇「49のドイツ民謡集」

-------------------------休憩-------------------------

ブラームス:
  今晩は、ぼくのおりこうなかわいこちゃん「49のドイツ民謡集」
  我が思いの全て「49のドイツ民謡集」
  下の谷底では「49のドイツ民謡集」
シューベルト:丘の上の若者 D702
モーツァルト:ロンド ヘ長調 K.494(ピアノ・ソロ)
シューベルト:死と乙女 D531
ブラームス:
  かよわい娘が歩いて行った「49のドイツ民謡集」
  静かな夜に「49のドイツ民謡集」
モーツァルト:夕べの想い K.523

アンコール:イダン・レイチェル/静かな夜に
      イギリス民謡/恋人にリンゴ

正直な感想……カウンター・テナーで歌われる古典派からロマン派の
リートは単調なものだという一点。何年か前に、イギリス人で同じく
カウンター・テナーのマーク・パドモアが『冬の旅』を歌うのを聴い
たが、今回と同様の感想を持ったのである。

カウンター・テナーはビブラートもほとんどなく、研ぎ澄まされた清
澄さが身上であるのは言うまでもないが、その夾雑音のなさが音叉の
音色と似たような印象を持ってしまった。それはバロック以前の音楽
には似つかわしくはあっても、古典派以降の表現のツールとしては、
いかにも純に過ぎているのではないかと感じた。

考え抜かれたプログラム構成も、歌詞を理解する人間が少ない日本で
は、どこかピントが定まらないという印象を持ってしまったのだ。

あるいは、これまでにバリトンやテナーの歌手によって歌われている
リートをもって“表現”とはこれだという固定観念を持ってしまって
いるとしたら、それもまた由々しきことだが、そんな固定観念を払拭
できない。そんな狭量さがもどかしくもある。

表現方法は時代とその様式が決めるのだということに思い至った、そ
んな一夜だったのである。そういう意味で、アンコールとして歌われ
たイギリス民謡がショルの表現なのだという気がした。

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