雅話§百人一首考[8]~わがいほは~

[承前]

喜撰法師(きせんほうし)

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり


喜撰法師は六歌仙の一人であるのだが。古今和歌集の選者である紀貫
之は、序文としてしたためた“假名序”の中で喜撰法師について……

宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、初め終りたしかならず。
言わば、秋の月を見るに、暁の雲にあえるがごとし


……月についての歌だと思っていたら、明け方の雲を歌っているかの
ように感じてしまったとは、要するに「何を詠っているのか、判然と
してないじゃん」とまあ、酷評に近いような印象ではありませんか。

もちろん我が短歌解釈など、貫之には遠く及ぶわけでもないから、歌
を理解している度合いなど、表面をなでまわしたに過ぎず、法師が詠
んだこの歌だって「僕の住処は都の南東にあって鹿も出没する。人は
宇治山と呼んでいるんだ」という程度の読み方しかできていない。

上の解釈だったら、せいぜい合格点お情けぎりぎりというところで、
法師が歌にこめた心情の一かけらも読み取っていないではないかとい
う赤ペン添削指導が返ってきそうな気がする。

心情まで理解するためには、枕言葉や掛詞に至るまで解釈していかね
ばならないだろうから、それは無理な相談で、結局は一通りの表面的
な読み解きしかできぬまま、我が百人一首は終わってしまうだろう。
                            [続く]

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