亡話§死を想う~メメント・モリ~

ふと、死を意識したのはいつのことだっただろう……記憶をたどって
みた。保育園の年少の時だったから5歳くらいだったと思うのだが、
祖母の実家である和菓子屋の当主(大伯父)の臨終に立ち会わされた。

死期が近づいていたとはいっても、その大伯父と一言二言話をしたよ
うな記憶もあったりするから、状態としてはまだまだだったのだろう
と思われる。

その後の記憶は火葬場で骨揚げをしているというもので、5歳の子供
の心にも“死んだら焼かれて灰になる”ことが、厳然とした事実とし
て刻み込まれたのだった。

大伯父の死を見るまでは、ごくごく普通の5歳児として“死”などと
いうものを認識することなく生きてきたのが、その日を境にして、常
に死という人間の最期が頭から離れなくなってしまったのだ。そして
半世紀以上の月日が流れ、いよいよ死が現実のものとして近づいてき
たことを否定できなくなったのである。

自分は、どういう死に方をするのだろう……突然の死に、死ぬことも
わからずになのか、あるいは何か月かの昏睡状態を経た後に、すうっ
と命が消えていくのだろうか。

できることならば、身辺の整理をできる限り済ませられれば、諦めも
ついて、お迎えを待つことができるというものだが。

2012年の勘三郎、つい先週の三津五郎という、相次ぐ一歳下の人間の
死に接して、思うところが多くなってしまったようだ。

《老化のトピックス一覧》

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック