反話§季語が重なることについて

俳句をひねるにあたって“季重なり”は好ましくないとされている。
十七文字の中に主役である季語は一つで十分、二つも三つも入ったら
焦点がぼけまくってしまうからというのが大きな理由なのだそうだ。

それじゃあこれは?と、誰もが例として挙げる、山口素堂の名句……

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

……だけれど、これはいいのかと思うのである。上記の理由から考え
るのだったら“青葉”“ほととぎす”“初鰹”が並列していて、どこ
にも重心が偏っているわけではないと解説することだろう。

まあ、正式な句会のようなものであれば、そのあたりはきちんとして
おくほうがいいのだろうが、こちとらのように考えること30秒、はい
一丁上がり!というお手軽ひねりであるから、あまり固いことは考え
ずに“表現のために必要であれば”という御題目を唱えつつ、堂々と
季重なりをやってしまうのだ。ついこの間アップした一句だって……

新緑を 慈しみけり 春の風

……新緑と春風が重なってしまっているけれど、ワタシ的には重心が
偏っているとは思えないので、意図しての季重なりでまとめてみた。

ベートーヴェンが「芸術のために破ってはならない規則などない」と
まではいかないけれど、規則に拘泥するのもまた、時に窮屈なもので
あるのだ。

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