惜話§岩城宏之没後10年
岩城宏之が逝去したのは2016年6月13日で今年が没後10年にあたる。
クラシックを聴き始めたのは中学2年の頃のことだった。家にレコー
ドの再生装置はなかったので、ラジオでクラシックを聴くか、あとは
せいぜいN響アワーくらいなものだった。
当時、N響を頻繁に振っていた日本人指揮者が岩城宏之で、彼が指揮
した音楽をテレビでよく見ることになったのだ。
追悼のエントリーで書いたことだが、チャイコフスキーの交響曲第6
番“悲愴”の2楽章は、5拍子という珍しいリズムになっているのだ
が、岩城はそんな拍子を何ともチャーミングな動作で振っていたのが
印象的なのだった。
そういう意味ではリズムに鋭敏な感覚を持ち合わせていたと思われる
が、それは彼が打楽器を専攻していたことから理解できるだろうか。
晩年20年ほどは頸椎を傷めたり、あちこちにがんが発症したりで、彼
自身にしたら不本意な活動しかできなかったと察せられるが、指揮に
代わるとは思えないものの、エッセーの世界で巧みな文章を披露して
読者を増やしていたが、それより何よりステージで指揮をしたかった
ことは言うまでもない。
生きていれば83歳……指揮者としては十分に活躍できる年齢で、さて
どんな音楽を聞かせてくれたものだろうか。
《クラシックのトピックス一覧》
クラシックを聴き始めたのは中学2年の頃のことだった。家にレコー
ドの再生装置はなかったので、ラジオでクラシックを聴くか、あとは
せいぜいN響アワーくらいなものだった。
当時、N響を頻繁に振っていた日本人指揮者が岩城宏之で、彼が指揮
した音楽をテレビでよく見ることになったのだ。
追悼のエントリーで書いたことだが、チャイコフスキーの交響曲第6
番“悲愴”の2楽章は、5拍子という珍しいリズムになっているのだ
が、岩城はそんな拍子を何ともチャーミングな動作で振っていたのが
印象的なのだった。
そういう意味ではリズムに鋭敏な感覚を持ち合わせていたと思われる
が、それは彼が打楽器を専攻していたことから理解できるだろうか。
晩年20年ほどは頸椎を傷めたり、あちこちにがんが発症したりで、彼
自身にしたら不本意な活動しかできなかったと察せられるが、指揮に
代わるとは思えないものの、エッセーの世界で巧みな文章を披露して
読者を増やしていたが、それより何よりステージで指揮をしたかった
ことは言うまでもない。
生きていれば83歳……指揮者としては十分に活躍できる年齢で、さて
どんな音楽を聞かせてくれたものだろうか。
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