生話§年齢相応ということは
祖母が生まれたのはちょうど1900年(明治33年)のことだった。なので
我が身が小学校に入学する前の年に還暦を迎えているわけだが、その
頃の写真を見ると見事なまでに“おばあさん”と見えてしまう。
我が身がこの世に生を享けた1954年は54歳だったわけだが、その頃の
写真に写った彼女もまた、中年という以上に老人に見えたのである。
年々歳々、老人が老人でない容姿のように感じられてしまうが、それ
は単なる錯覚というか、思い込みなのかどうなのか……わからない。
50年以上前の祖母と、今の自分を重ね合わせてみるが、贔屓目に見て
も彼女ほどの老人とは見えないように思うのだ。
年齢相応とはどういうものなのか……考えてみるがよくわからない。
妙に歳若く見える人もいれば、見事に老け込んでしまった人もいて、
それこそ60歳という年齢はどういう風体であるものか、わからない。
それは多分に、日常に着ている衣類あれこれによっても大きく違って
くるのではなかろうかと考えるのだ。人によっては、それを“年齢相
応”と考えて年寄りじみた服装になってしまうのだろうが、自分はど
うかといえば、四十代、五十代……いやいや、それ以前に着ていた類
を今でも着ていて、それで過ごしている。少なくとも着ているものは
年寄り臭くは見えないはず。
それを見て、人によっては“若作りしやがって”と思う人がいること
は間違いないが、当の本人が着ていて違和感を覚えないのだから、そ
れでもかまわないと思っている。結局は本人の感じかたでしかない。
《日常のトピックス一覧》
我が身が小学校に入学する前の年に還暦を迎えているわけだが、その
頃の写真を見ると見事なまでに“おばあさん”と見えてしまう。
我が身がこの世に生を享けた1954年は54歳だったわけだが、その頃の
写真に写った彼女もまた、中年という以上に老人に見えたのである。
年々歳々、老人が老人でない容姿のように感じられてしまうが、それ
は単なる錯覚というか、思い込みなのかどうなのか……わからない。
50年以上前の祖母と、今の自分を重ね合わせてみるが、贔屓目に見て
も彼女ほどの老人とは見えないように思うのだ。
年齢相応とはどういうものなのか……考えてみるがよくわからない。
妙に歳若く見える人もいれば、見事に老け込んでしまった人もいて、
それこそ60歳という年齢はどういう風体であるものか、わからない。
それは多分に、日常に着ている衣類あれこれによっても大きく違って
くるのではなかろうかと考えるのだ。人によっては、それを“年齢相
応”と考えて年寄りじみた服装になってしまうのだろうが、自分はど
うかといえば、四十代、五十代……いやいや、それ以前に着ていた類
を今でも着ていて、それで過ごしている。少なくとも着ているものは
年寄り臭くは見えないはず。
それを見て、人によっては“若作りしやがって”と思う人がいること
は間違いないが、当の本人が着ていて違和感を覚えないのだから、そ
れでもかまわないと思っている。結局は本人の感じかたでしかない。
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