造話§尾瀬の木道

水芭蕉の尾瀬が広く知られるようになり、ハイカーが押しかけるよう
になったのは昭和30年代のことだったと記憶している。その頃、まだ
まだ木道は敷かれてはいなかった。

ハイカーたちは湿原を直接歩いていたので、当然ながら湿原は荒れる
し、足元は泥だらけとなってしまう。おまけに池塘の中を漂っている
浮島に乗って遊ぶなど、やりたい放題の時代だったのである。

かくして木道が整備されたのは昭和30年代後半になってからのことで
はなかっただろうか。初めて尾瀬を歩いたのは1968年のことだったが
当時は丸太を半割りにして、それを並べ両端をかすがいで留めて……
簡単なものだった。それでも、当時の尾瀬ヶ原のメインストリートは
複線になっていたとは思うが。

似たような状態は40年前大学4年間にやったアルバイト時代でも、そ
れほど変わることはなかった。そして長いブランクを経て4年前から
尾瀬通いを始めた時の木道は劇的な変化を遂げていた。

写真のとおり、特に人通りの多い尾瀬ヶ原のメインストリートは、角
材3本を合わせ、木組土台の上にのせるという、かなり堅固だと見受
けられる。
↓かなり堅固である
DSC04593c.jpg
それでも、下の写真のように数年に一度は交換が必要で、毎年どこか
しらで木道工事が行われているのだ。
↓とても手間がかかっているようだ
DSC03892.JPG
とはいえ、一歩幹線を離れて歩く人の少ないルートをたどると、朽ち
かかった木道がそこここに横たわっていて、なかなか交換の手が回ら
ないとはいえ、いささかうら寂しいものがある。
↓わざわざ木道を敷く必要はなさそうだが
DSC03438.JPG
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