顧話§追想・若杉弘[Ⅰ]出会い

若杉弘という指揮者の存在を知ったのは、1960年代末に音楽書出版社
が発行した『日本の音楽家』という本によってだった。平綴じの雑誌
仕立てになっていて、当時の日本人音楽家が網羅されていたのだ。

その中の“指揮者”という項目の最後が若杉弘で、その人物紹介の中
で“初演魔”という表現で、当時の常任だった読響を使ってワーグナ
ーの『パルジファル』をはじめとして大曲を意欲的に取り上げていた
ことが紹介されていた。

そういう意味で若杉がプロデュース能力に長けていたということを、
おぼろげながら認識したのだ。東京に出てきた翌年、ようやく彼が指
揮するコンサートに行くことができた。1974年夏、読響のサマーコン
サートで、オール・チャイコフスキー・プログラムというもの。

最初に『フランチェスカ・ダ・リミニ』が演奏され、2曲目に野島稔
の独奏でピアノ協奏曲が、メインは悲愴交響曲というお約束のような
演目。

まだまだオーケストラの演奏会に行く機会も少なかったので、何をど
のように感じたのか、とんと記憶がない。一つだけ記憶にあるのは、
コンサートマスターと握手をした時に若杉が苦笑いをしたということ
だけである。

次に彼の指揮に接するまでに7年を要している。
                            [続く]

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