悼話§ピエール・ブーレーズさん(音楽家)
最初に聴いたブーレーズが指揮する録音は、1963年にフランス国立放
送管弦楽団を振ったストラヴィンスキー『春の祭典』だった。およそ
40年前のことである。
ようやく『春の祭典』を聴き始めた頃で、好奇心から3種類ほど違う
録音を買って聴き比べをしたのだったが、ブーレーズの盤は録音状態
が悪く、何というか音楽の骨格標本を見て(聴いて)いるような印象を
持った……それはそれでおもしろかったのだけれど。
ブーレーズに残してくれた最大のものは、1976年のバイロイト音楽祭
百周年でパトリス・シェローの演出で上演された『ニーベルングの指
環』である。初年度における客席からの反応は一大スキャンダルとな
ったが、その当時は音楽専門誌のレポート程度でしか知ることができ
ず、はてさて何が起きたものか“隔靴掻痒”状態だったことを記憶し
ている。
その後1980年代半ばになって、ようやく舞台映像が放送されたことで
状況が見えてきたのだが、30年から40年前にして海外からのクラシッ
ク音楽事情の伝わり方などは、その程度でしかなかったのだ。
ただ、そんなスキャンダルに興味を抱いたことがきっかけで、ここま
でワーグナーに対しての関心を持ち続けられたのは、疑いもなくピエ
ール・ブーレーズのおかげなのである。
享年九十
合掌
《追悼のトピックス一覧》
送管弦楽団を振ったストラヴィンスキー『春の祭典』だった。およそ
40年前のことである。
ようやく『春の祭典』を聴き始めた頃で、好奇心から3種類ほど違う
録音を買って聴き比べをしたのだったが、ブーレーズの盤は録音状態
が悪く、何というか音楽の骨格標本を見て(聴いて)いるような印象を
持った……それはそれでおもしろかったのだけれど。
ブーレーズに残してくれた最大のものは、1976年のバイロイト音楽祭
百周年でパトリス・シェローの演出で上演された『ニーベルングの指
環』である。初年度における客席からの反応は一大スキャンダルとな
ったが、その当時は音楽専門誌のレポート程度でしか知ることができ
ず、はてさて何が起きたものか“隔靴掻痒”状態だったことを記憶し
ている。
その後1980年代半ばになって、ようやく舞台映像が放送されたことで
状況が見えてきたのだが、30年から40年前にして海外からのクラシッ
ク音楽事情の伝わり方などは、その程度でしかなかったのだ。
ただ、そんなスキャンダルに興味を抱いたことがきっかけで、ここま
でワーグナーに対しての関心を持ち続けられたのは、疑いもなくピエ
ール・ブーレーズのおかげなのである。
享年九十
合掌
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