テーマ:追悼

悼話§平尾誠二さん(ラガー)

何ということか! かつてのラグビー名選手がまた一人世を去った。 1999年には新日鉄釜石七連覇のメンバーでフッカーを務めた洞口孝治 が45歳で、2006年には早稲田大学の名スクラムハーフで三井住友銀行 取締役にもなった宿澤広朗が55歳で、昨年7月には、慶應大学ラグビ ー部の監督も務めた上田昭夫が62歳で……いずれもあまりに早…
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悼話§ネヴィル・マリナーさん(指揮者)

サー・ネヴィル・マリナーとアカデミー室内管が初来日したのは1972 年のこと。 当時の日本は、ヴィヴァルディの『四季』大ブームで、イ・ムジチ合 奏団、パイヤール室内管弦楽団と御三家のような扱い方をされていた のだった。 そんなマリナーの初来日をNHKが放送してくれたのだ。彼らが演奏 する四季の録音は持っていなかったの…
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悼話§千代の富士貢さん(力士)

誰かが「相撲取りがガチで喧嘩をしたら、一番強いのは千代の富士だ ろう」と言っていて“さもありなん”と思ったことがあった。それは 間違いないと思っている――もう一人、朝青龍を加えても可――が。 それほどに強い横綱であったし、引退して親方になってからも大関の 千代大海を育て上げたりしたものの、相撲協会においては冷遇されて いた…
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悼話§ヨハン・ボータさん(オペラ歌手)

ヨハン・ボータが歌うステージを聴いたのは一回だけ。2011年のバイ エルン国立歌劇場来日公演の『ローエングリン』だった。 その時はヨナス・カウフマンがキャンセルしての代役だったが、代役 ということを忘れさせる見事な輝かしい歌唱を聴かせてくれたのだ。 彼が南アフリカ出身であるとは訃報で知ったことだが、南アリフカ出 身でも…
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悼話§大橋巨泉さん(ジャズ評論家)

大橋巨泉の存在を知ったのは、1960年台半ば過ぎに聴いていたラジオ の深夜番組“プレイボーイ倶楽部”だった。週刊プレイボーイの創刊 に合わせてスタートした……いわば大人の蘊蓄番組だった。 それから先は、11PMをはじめ、おびただしいテレビ番組の司会を務め たが、少なくとも昨今のバラエティ番組のそれとは一線を画していた と思…
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悼話§永六輔さん(旅人)

『上を向いて歩こう』の作詞者が亡くなった。これで、作曲した中村 八大、歌った坂本九という六八九トリオ三人が亡くなってしまった。 彼がものした『芸人その世界』とか『役者その世界』といったエピソ ード本に親しみ、週末にはラジオのワイド番組のパーソナリティとし ての話を聴いていたのである。 時には尺貫法廃止に抗して、鯨尺を売…
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悼話§長谷川五郎さん(オセロ考案者)

オセロゲームの存在を知ったのは二十代に入ってすぐのことだったと 記憶しているから、ゲームが発売されてすぐだったと思われる。 理数的論理思考が見事に欠落している人間だから、いくら対戦しても 勝つことができず、首をひねるばかりだったが、ある時に角隅を取る のが必勝法であることに気がついた……気がついたからといって、じ ゃあ…
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悼話§宇野功芳さん(音楽評論家)

「このような演奏のCDを買う人のほうが悪いといえよう」とまあ、 クラシック好きであったら、ウノコーホーの“いえよう”フレーズの 批評を苦笑しつつ愛読した人は少なくないだろう。 さらに「●◆のブルックナーなど聴くほうが悪い、知らなかったとは 言ってほしくない」という歯に衣着せぬ批評スタイルもまた名物なの だった。 そん…
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悼話§ピーター・シェーファーさん(作家)

モーツァルトとサリエリの葛藤を戯曲にした『アマデウス』は優れた 作品だった。これは、まず最初に演劇で観て、次に映画でという順序 だった。 演劇は江守徹がモーツァルトを、松本幸四郎がサリエリを演じたもの で、サンシャイン劇場での公演。もちろん十分におもしろいものだっ たが、迫力は圧倒的に映画のほうに軍配を上げることに躊躇しな…
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悼話§モハメド・アリさん(ボクサー)

アメリカにとってモハメド・アリ(カシアス・クレイ)が、アメリカの 偉大なボクサーだと言われている意味がわからないままでいる。 それほどボクシングに興味があるわけではない。が、あえて言うなら 軽量から中量のクラスのボクシングのほうが動きがシャープだと感じ られて、まだ観ようという気にはなる。 そんなクラスからアリを見ると…
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演話§オーケストラ奏者という職業

ついこの間の事である。アトランタ交響楽団の87歳になる女性コント ラバス奏者がステージで亡くなったというニュースを眼にした。もち ろん最高齢オーケストラ奏者であることに間違いはない。 ということとは別に、アメリカのオーケストラでは時折見かけるよう な気がしている……いわゆる“弾力的運用”という奴なのかどうか、 そう…
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悼話§蜷川幸雄さん(演出家・役者)

役者としての蜷川幸雄をテレビドラマで何回か見かけたことがある。 1960年代後半で、ちょっと癖のあるキャラクターだったこともあって 記憶に残っているのだ。 それからほどなく役者から演出家に転向したと聞き“もったいない” と思ったが、その後の仕事ぶりは言うまでもない。それで、彼が演出 した舞台をどれほど観ているかといったら、…
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悼話§大平透さん(声優・俳優)

大平透の声を最初に聞いたのは、テレビ映画『スーパーマン』のクラ ーク・ケントだったと思う。 印象的だったのは『スパイ大作戦』の「おはよう、フェルプス君…… なお、このテープは自動的に消滅する」の声だった。もっと世代が若 くなると『ハクション大魔王』であったり『笑ゥせぇるすまん』の喪 黒福造ということだが、その2つについては…
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悼話§秋山ちえ子さん(評論家)

TBSラジオ『秋山ちえ子の談話室』を聴いていたのは、予備校から 大学に通っていた頃の事だったと記憶している。短い時間だったが、 様々な事象を的確に捉えて自分の言葉で、しかもわかりやすく話して いたのが印象に残っている。 そして戦争を経験した人間として、下のような言葉を残していた…… 男性には戦争をしたがる人がいる …
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悼話§多湖輝さん(頭の体操)

大ベストセラーとなったカッパブックス『頭の体操』第1集が発行さ れたのは1966年のことで、話題になっていたのを買って遊んだのは、 中学1年のことだった。 問題を解こうと試みながら、中1にしていかに規制の常識に囚われて いることかと思い知ったのだが、以来半世紀が経った我が身の中に、 心理学者である多湖輝が培おうと目論んだ水…
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悼話§N・アーノンクールさん(音楽家)

ニコラウス・アーノンクールが亡くなった。引退を表明して3か月後 のことだった。 彼と手兵であるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの初来日公演 を聴いている……1980年秋のことだが、その当時はそれほど評判にも ならず、演奏会場の新宿文化センターの客席もガラガラだったという 記憶である。 聴いたプログラムも、…
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偲話§坂東三津五郎一周忌

今週日曜、21日は三津五郎の一周忌だった。 同世代の(三津五郎と勘三郎は1歳下)人間の死ほどやるせないものは なく、たぶん自分自身がこの世に別れを告げる時まで、六十になるや ならずで死んでしまった彼ら二人の芸の行く末を惜しみ続けることに なるだろう。 ふと思い立った時、我が家にあるシネマ歌舞伎のDVDから、二人が 出…
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悼話§オーレル・ニコレさん(笛吹き)

フルートに親しみ、自分自身も下手の横笛を拭いていた頃から、オー レル・ニコレの音楽を自らの規範として、彼の演奏を聴いていた。 もちろん、彼のアーティキュレーションを真似したものの、あくまで 真似でしかなかったし、真似すらできなかったことばかりでもある。 ニコレの演奏は、今の例えばエマニュエル・パユのようにスマートに シ…
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悼話§中村梅之助さん(役者)

1977年、司馬遼太郎原作の『花神』が大河ドラマとして一年間放送さ れた時の主役である村田蔵六(大村益次郎)を務めたのが中村梅之助だ った。 村田蔵六なる存在が地味だったこともあって、それほど評判にはなら なかったと記憶しているが、あらかじめ原作を読んでドラマに臨んだ ので個人的には最後までおもしろく観ることができたと思っ…
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悼話§ピエール・ブーレーズさん(音楽家)

最初に聴いたブーレーズが指揮する録音は、1963年にフランス国立放 送管弦楽団を振ったストラヴィンスキー『春の祭典』だった。およそ 40年前のことである。 ようやく『春の祭典』を聴き始めた頃で、好奇心から3種類ほど違う 録音を買って聴き比べをしたのだったが、ブーレーズの盤は録音状態 が悪く、何というか音楽の骨格標本を見て(…
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悼話§岡本おさみさん(作詞家)

吉田拓郎の『旅の宿』や『襟裳岬』の作詞を手がけた岡本おさみが亡 くなった。上記2曲も悪くはないが、彼の手になる歌で好きだったの は、同じく拓郎が作曲した『祭りのあと』の歌詞だったりする。 その他に、泉谷しげるの『黒いカバン』の作詞もしていて、おやっと 思ったのだった。享年七十三 合掌 《追悼のトピックス一覧》
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悼話§水木しげるさん(ゲゲゲの鬼太郎)

我々の世代にしてみれば、何を言っても『ゲゲゲの鬼太郎』の作者で ある。お化けや妖怪を描きながらも、どこか懐かしい体温を感じさせ る作風で、グロテスクの類からは無縁なのだった。 漫画家水木しげるは、我が家から電車で10分ちょっとの調布に住んで いた。調布の街に行くと、あちこちで彼のキャラクターに出くわすこ とになる。上の…
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悼話§原節子さん(女優)

美人女優だと言われ続けていたが、どうにも実感がないのはさすがに 彼女が銀幕から姿を消したのが1960年代初頭で、まだ小学校低学年だ ったことが大きい。それと個人的には、鼻の大きい人は好みのではな いということもある。 ではあるが、テレビで思い出の名画を放送する時に動いて演技してい る原節子を見ると、何とも雰囲気のある人と感…
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悼話§北の湖敏満さん(横綱)

北の湖は一学年上である。彼が横綱になったのは、我が身が一浪して 大学に入った年だった。21歳で横綱になるなど、まるで想像の外で、 とてつもない怪物のように感じたのだった。 卓越した力量だったから最年少記録で横綱昇進したわけだが、中学校 在学中から土俵に上がっていて、卒業する頃には幕下まで上がってい たということもまた忘れる…
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悼話§加藤治子さん(女優)

加藤治子を初めて見たのは、1960年代半ばにTBSテレビが放映した ドラマ『七人の孫』だった。その当時加藤治子は四十代前半だったと 思うが、堂に入った母親役だったと微かに記憶している。 テレビドラマの出演歴を俯瞰すると、このドラマにもあのドラマにも 出演していたのかと驚かされた。 彼女の物腰からはうかがい知ることはでき…
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悼話§G・シャボウスキーさん(政治家)

1989年11月9日の夜、東ドイツ市民の旅行の自由についての会見中、 報道陣が「それはいつからか」という質問に「ただちに、遅滞なく」 と答えたことで、あっという間にベルリンの壁が開放されたのだ。 ↓“sofort, unverzüglich”と答えてしまったシャボウスキーの会見の様子 実は旅行の自由が認めら…
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悼話§熊倉一雄さん(役者)

ラジオやテレビから流れてくる熊倉一雄の声を聞き続けて50年以上に もなっていたと、指を折って数える暇もあらばこその長い長い付き合 いだったのだなと考えていた。 初めて彼の声を聞いたという明確な記憶は、NHK『ものしり博士』 という番組のケペル先生で「なんでも考えかんでも知って、なんでも かんでもやってみよう」という冒頭の決…
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悼話§橘家圓蔵さん(噺家)

自分にとっては、いまだに“円鏡(圓鏡)さん”という存在なのだが、 それは橘家圓蔵としての彼の高座姿をほとんど見ていないからではな いかと気がついた。 前名である月の家圓鏡の人気が沸騰したのは、1960年代後半に始まっ た『お笑い頭の体操』で彼が当意即妙な謎かけをテレビ画面で連発し てからのことだっただろうか。それ以前から彼…
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悼話§松原徹さん(プロ野球選手会事務局長)

2004年9月、日本のプロ野球で初のストライキが行われた。詳しい経 緯はこちらを読んでいただくとして、それを事務局長として支えたの が松原徹だったのである。 ずいぶんと野球への興味が希薄になりつつありはしていたが、当時の 様子はよく覚えている。多くの野球ファンの支持もあり、ストライキ は好意的に実施されたと思う。 そ…
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悼話§上田昭夫さん(ラガーマン)

かつて慶應義塾大学ラグビー部の監督として日本選手権優勝に導いた 上田昭夫が、アミロイドーシスという初めて病名を聞いた特定疾患に 罹患、回復しないままに逝去した。享年六十二 小柄なラガーマンは負けず嫌いでなければというイメージそのままに 現役時代も、監督としてもチームを鼓舞してプレイするという姿勢を 貫いたのである。 …
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