テーマ:昭和

坊話§卒業文集という黒歴史

田舎町の中学校を卒業したのは1970年3月。その日は大阪万博が開幕 した日でもあり“70年安保”の年でもあった。ほとんど大昔の歴史で しかなくなったが、そんな47年前の“黒歴史”が手元にある。 ……卒業文集という“あれ”だ。しかも文集編纂委員もやらされてい て“飛躍”という題字を考えたのが自分だったりするのだ。3年生の …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~いわゆる床屋~

[承前] 実家の町を出て東京暮らしを始めるまでは、ずうっと同じ床屋に通っ ていた。家のある路地を出てすぐ右にその店はあり、歩いて30秒足ら ずなのである。 店は夫婦によって営まれていて、後に息子も加わったが、本当に普通 の床屋だった。理髪椅子もその当時は電動などはなく、ペダルを踏ん で上下させたり倒したりというものだ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§藤村俊二さん(振付家)

藤村俊二の存在を初めて知ったのは、1966年からフジテレビが放送を した洋楽ベストテン番組『ビートポップス』の振付師としてである。 テレビを見ている人間でも簡単に覚えられるようにと、シーカーズの 『ジョージーガール』とか、ミリアム・マケバの『パタパタ』といっ たあたりが記憶には残っているが、お手軽な振付ではあったのだが。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

握話§味噌おにぎり

味噌を塗っただけのおにぎりが好きだった。 食べたのはもう数十年前の“食べ盛り”だった時のことである。学校 から帰ってきて、おやつがあればそれを食べ、それがなかった時は、 祖母だったかがおにぎりを作ってくれた。 その時、塩か味噌かリクエストを聞かれて、もちろん1個で足りるは ずもないので“塩と味噌!”と、1個ずつ食べたと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

江話§上京日記[1]代々木で下宿

東京に出てきて生活を始めて、とっくに40年を超えている。ちょっと 駆け足で、その頃の事をまとめようと思う。 高校卒業と同時に一浪が決定した。かねてより東京に出たいと思って いたので、4月に入ってすぐ予備校に通うべく上京したのは1973年の ことである。 暮らし始めた下宿は代々木駅からほど近く、1階は貸主の家族が住ん …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

週話§土曜些事~三億円事件の日~

府中刑務所の横で三億円が強奪されたのは1968年のこの日だから、事 件発生から48年……間もなく50年の月日が流れることになる。その時 中学2年だったから半端なく昔の話になってしまった。 事件の話をする時、決まって“銀行の定期に預けたら……”という、 そこに話題は集中して、確かあの頃の定期の利率は数%だったと記憶 している…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~煎餅屋の風景~

[承前] 実家があった路地から表通りに出てすぐのところに煎餅屋が小商いを していた。店の名前などはなく、ただ“せんべい”とだけしかなかっ たような記憶である。 それが、せんべい生地から焼いて味付けするまでを店の奥でやってい て、まさに“工場直送”のおせんべいを食べることができたのだ。し かも3枚10円とかそんな小遣い…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~紙芝居~

[承前] 学校が終わった15時過ぎくらいだっただろうか、車が通らない路地裏 の空間に、紙芝居の自転車がやって来るのは。 子供が何人か集まると、二人くらいに効果音用の太鼓を持たせ町内を 回り、さらに子供を10人くらい集めたところで紙芝居が始まるのだ。 まずは5円とか10円くらいの駄菓子を“見物料”として買わせ、軽い …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~餅~

[承前] 子供の頃、この時季の楽しみといえば餅である。寒くなって、暖房代 わりの火鉢が出るようになると、必ず“賃餅”を注文していたのだ。 実家のすぐ近くになじみの和菓子屋があって、そこで搗いてもらった のである。 11月頃に一回と、年末の鏡餅と一緒に一回とか注文していたのではな かったかと記憶しているが、食べ盛りにし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~畳~

[承前] 畳敷きの家で生まれ育った。板敷きといえば、台所、便所、廊下で、 居室に板敷きはなかった。畳の上に座り、食事をし、くつろぎ、布団 を敷いて寝るという生活だった。 そんな畳をはずしての大掃除が行われたのは一年おきくらいだったか と記憶している。5月頃、気候がいい時に大人が総出で家具を運び出 し、はずした畳を棒な…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~天井の電気配線~

[承前] 既にして影も形もない実家は昭和一けたの頃に建てられた、思い切り ボロ家だった。その頃の普通の家がどれでもそうだったのかどうかは わからないが、天井に電気配線が通っていた。 細長い瀬戸物でできた碍子が枕木のようにいくつも配置されて、布で 巻かれたコード2本が線路のように平行に張られていたのだ。要する に、後に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~洗濯~

[承前] 田舎町にあった我が実家に洗濯機がやってきたのは、昭和40年代前半 のことで、それまでは母親がせっせと手洗いをしていた。その頃は、 三軒長屋に共同井戸があって、そこでたらいと洗濯板を使って、春夏 秋冬一年中洗濯していたのである。 母親が洗濯してる頃は学校に行ってしまっていたので、詳しいことは 記憶にないけれど…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~カルメ焼き~

[承前] 縁日でおなじみ実演販売のカルメ焼きである。縁日ばかりではなく、 まだまだ緩かった昭和三十年代は、小学校の正門から車道に出る20m ほどのアプローチで露店が営業をしていたのだ。 夏場は金魚すくいも出たりした中であって、蜜豆の屋台というのもあ った。親たちは“不衛生だから食うな”と阻止しようと試みてはいた が、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~ラジオ体操~

[承前] 小学校の頃、夏休みが始まって2週間ほどだったか、早朝6時に小学 校の校庭に集まったラジオ体操をしていた……させられていた。時間 が来ると放送室に付属のラジオから音声を拡声させるのである。 集まったのはそれでも100人くらいはいただろうか。全員がはがき 大ほどの出席表を首に掛けていて、ラジオ体操が終わると世話役…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~物干し台~

[承前] 生まれた家は、町中で3軒連なった長屋だったとは何度も書いている ことである。だからというわけでもなかろうが、2階家に憧れていた のだ。ただの2階家ではなく、そこには物干し台が付いていなくては ならなかった。 あれがものすごく羨ましかったのである。そもそも高いところから景 色を見るのが好きだったりするから、そ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~蒸気機関車~

[承前] 生まれ故郷の町には両毛線が通っていた。我が町から東京に行くのは 高崎回りの高崎線経由でも、小山回りの東北本線経由でも料金は同じ で、時間も似たようなものだった。 そんな両毛線に蒸気機関車(SL)が走っていたのは1960年代の終わり 頃までで、同時に電化路線となったのである。 といっても、それほどSLに乗…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

豆話§新連載もいいけれど・・・・・・

百人一首考が終わったところで、何か新しく連載できそうなものはあ るかいなと考えているところだが、今継続中の連載ものが数テーマあ るので、それを充実ふくらませることを考えたほうがよさそうかな。 百人一首考は、月曜と木曜にと決めて書き進めたし、去年秋の尾瀬行 も月水金とまとめて連載してみたが、それ以外の“昭和三十年代”や “呑…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~富山の薬売り~

[承前] 富山の薬売りの人は、どれくらいの間合いでやって来ていたのか…… 半年に一度くらいのことだっただろうか。行李が重なって入っている 重い革製の荷物を玄関先に置いて、祖母や母が相手をしていたという 記憶である。 そうして、棚の上に置いてある常備薬の入った小引き出しを渡すと、 開封して使った薬を行商人がチェックし、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~玄関と勝手口~

[承前] 朗らかと言ってよかった昭和時代の日本家屋の玄関は、日中であれば 常に鍵など掛けられることもなく、ご近所さんであれ、突然の来客で あれ、玄関の戸をガラリと開けては…… こんちは、誰かいる? ……今だったら、突然に他人様の家を訪問するなど考えられず、あら かじめ電話などで来意を伝えるというのがマナーだったり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~酢や味噌、醤油~

[承前] 生家の台所は何とも質素で、一番に古い記憶では、ご飯を炊く小さな かまどと、七輪程度しか火の道具がなかった。だから、その程度の料 理しか作っていなかったということである。 祖母か母親が作っていたわけだが、言うまでもなく今のインスタント 食品の類などは存在せず、野菜や肉、魚といった素材を、ゼロから調 理していた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~汲み取り便所~

[承前] 細々と連載を続けている“昭和三十年代”である。最後のエントリー は10月下旬だったから2か月半ぶりになる。そろそろネタ切れかなと 思ったりもするが、そんなはずはないので連載は続くのだ。 で、トイレの話をしてみたい。当時、トイレなどと呼ぶ人など皆無に 近かっただろう。およそほとんどの人間が“便所”と呼んでいたし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

顧話§今日の歴史~昭和の終わり~

1989年1月7日、昭和天皇崩御 この日は土曜日にあたっていた。朝起きてアンプに電源を入れたら、 その時間であればステレオ放送を示すFMチューナーの赤いランプが なぜか消えていたのだ。 おかしいなと思ってボリュームを上げたら……昭和が終わっていた。 1989年という年は、昭和を象徴する人たちが逝去した年でもあった。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

顧話§今日の歴史~三億円強奪事件~

1968年12月10日、府中市で三億円強奪事件発生 中学2年の時に起きた“大事件”である。これにはびっくりした…… 調べてみると、この年の宝くじの一等当選金が1000万円とあり、当然 ながらニュースや、それ以外のテレビ番組でも、様々な比較が行われ たのである。 被害に遭ったのと同じジュラルミンケースを登場させたり、あら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§尾瀬草紅葉[27]山小屋のこと

[承前] 尾瀬から遠ざかっていたことで、尾瀬の変貌ぶりに驚かされた。尾瀬 の自然そのものは変わることがなかったけれど、山小屋とその周辺事 情が驚くほど変わっていることに気づかされた。 報道にあったとおり、10月にアヤメ平に近い冨士見小屋が閉館した。 群馬県側から尾瀬に入る3つのルートの中にあって富士見峠越えは、 大清…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§原節子さん(女優)

美人女優だと言われ続けていたが、どうにも実感がないのはさすがに 彼女が銀幕から姿を消したのが1960年代初頭で、まだ小学校低学年だ ったことが大きい。それと個人的には、鼻の大きい人は好みのではな いということもある。 ではあるが、テレビで思い出の名画を放送する時に動いて演技してい る原節子を見ると、何とも雰囲気のある人と感…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~駅舎らしい駅舎~

[承前] 鉄道駅の顔が見えない。特に東京のような都会において駅舎の喪失は 顕著で、特に大規模なターミナル駅になればなるほど“駅”は駅ビル と化して、ランドマークとはなり得ないのだ。 例えば新宿、例えば池袋あたりが一目瞭然で、どちらの東口も西口も デパートやショッピングセンターの中に埋もれてしまっている。建物 の壁面に…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~野球テレビ中継~

[承前] その昔、白黒テレビ全盛だった昭和30年代の野球中継の基本アングル はといえば、バックネット裏に設置されたカメラが、ピッチャーと相 対する構図がお約束だった。 ピッチャーがカメラに向かってボールを投げ込んでくるのをバッター が待ち構えて……という時代がずいぶん長く続いたような気がすると 思い調べてみたら、セン…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§加瀬邦彦さん(ギタリスト)

加瀬邦彦が演奏する姿を初めて見たのは1964年か65年頃のこと。寺内 タケシとブルージーンズのメンバーとして、寺内の横でギターを演奏 していたが最初の記憶である。 その後、気がついたらザ・ワイルドワンズのリーダーとしてギターを 弾いていたので驚いたことがある……今でもそうなのだが、個人的に は“オリジナル・メンバー”という…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~内職~

[承前] 昭和三十年代、我が家は決して裕福とはいえなかった。父親が3回、 4回と失業を繰り返す様を子供心に不安な思いを抱きながら眺めてい たからなおさらである。 昭和四十年代はじめ、父親が40歳を過ぎてほどない頃になって、よう やく安定した仕事に就くことができた……もっとも、だからといって 裕福でないところは、そう変…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more