テーマ:百人一首

顧話§今日の歴史~藤原定家が百人一首~

1235年5月27日、藤原定家が百人一首を完成。 1235年とは、既に源氏の将軍ではなく四代将軍は藤原頼経という公家 の人になっていたが、彼も後に執権北条時頼によって失脚している。 そんな時代、親友の宇都宮入道蓮生の求めに応じた藤原定家が、自ら 小倉山荘の障子に選歌百首を貼り付けたのがこの日で、この日をもっ て百人一首…
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雅話§百人一首考[追]~百首索引~

[承前] 何とかというか、無理矢理というか……一年余を要してこじつけまく った揚句の百人一首考が何とか百首までたどり着いたぜ。 完成記念で“百首索引”を作った。新機軸――大げさな――としては 詠み人を男性(青)、女性(赤)、坊主(橙)で色分けしてみたところか。 それほど深い意味はないが、ああそうだったのかと思えばよ…
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雅話§百人一首考[百]~ももしきや~

[承前] 順徳院(じゅんとくいん) ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり たどり着いた百首目は本当によく知っている歌で、いかに“中抜き” のキセル乗車をしていたことが見え見えではないか。 父である後鳥羽院と起こした承久の乱に失敗して、息子である順徳院 は佐渡島に流され、そこが死に場…
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雅話§百人一首考[99]~ひともおし~

[承前] 後鳥羽院(ごとばいん) 人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は 鎌倉幕府が成立した時の天皇である。壇ノ浦の戦いで海に消えた安徳 天皇と2年ほど在位期間が重なっているという変則的な存在である。 そんな御世を眺めれば、厭世的になるのもやむを得ず、こんな歌を詠 むのも素直に納得できてし…
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雅話§百人一首考[98]~かぜそよぐ~

[承前] 従二位家隆(じゅにいいえたか) 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける 京都の上賀茂神社には何度か足を運んでいる。使い古した言い方をす るならば悠久の森の中に瀟洒な神社がという佇まいに、不信心者では あるが、思わず神の存在を実感させられるような気になってしまう。 21世紀の…
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雅話§百人一首考[97]~こぬひとを~

[承前] 権中納言定家(ごんちゅなごんさだいえ) 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 百人一首の選者である定家の歌がこれ。何とも技巧を凝らして乙女心 を描写したものだと感心する。 藻塩は海藻を原料として作られた、いわば出汁の入った塩で、最近も 健康食品として大量ではないが売られて…
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雅話§百人一首考[96]~はなさそふ~

[承前] 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん) 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり 桜の花が咲くと、いつの頃からか“あと何回くらい桜の花が開く様を 見られるだろう”と思うようになってしまった。人間、誰でも老いさ らばえていってしまうから、そう考えるのも無理からぬことがあり…
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雅話§百人一首考[95]~おほけなく~

[承前] 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん) おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖 十代で比叡山は延暦寺に出家した慈円が、二十代の頃に詠んだ一首で ある。慈円は後に『愚管抄』を著した高僧なのだ。 戦続きで世情不安な世の中にあって、力不足ではあるが何とか浮世の 民を護ってやりた…
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雅話§百人一首考[94]~みよしのの~

[承前] 参議雅経(さんぎまさつね) み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣うつなり 砧という道具がある……正確にはあったと言うべきだろうか。その昔 皺になった布を叩いて伸ばす、アイロンなどなかった時代の道具であ る。 砧とはこんなものだと、ウィキペディアから引用しておくが、木槌で 石の上に…
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雅話§百人一首考[93]~よのなかは~

[承前] 鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん) 世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも 鎌倉の鶴岡八幡宮で公暁によって殺された源実朝のことである。彼が 殺害されたことで、鎌倉幕府の源氏将軍は途絶えることとなった。 もう43年も前のこと、予備校通いするのに東京で暮らし始めた年の秋 に『実朝出…
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雅話§百人一首考[92]~わがそでは~

[承前] 二条院讃岐(にじょういんのさぬき) わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし とかく、表現というものは大げさになりがちで、そうあることを恥じ ていたら、恋はできないだろうし、結果として歌も詠めないというこ とになってしまうだろう。 潮の干満で見えない沖の石と自らの袖を引き合い…
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雅話§百人一首考[91]~きりぎりす~

[承前] 後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん) きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む この歌を含めて、あと十首だ……ぜいぜい。 “独り寝の子守唄”というところか。それにしても平安時代の夜具の 質素さというか、単に昼間に着ていた衣類を掛布団代わりにし…
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雅話§百人一首考[90]~みせばやな~

[承前] 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ) 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず ここにきて、女性からの強烈な恋歌が立て続けである。百人一首の、 特に後半は完全に手薄だったから、こんな歌が何首もあるとは思って もいなかった。 それにしても小倉百人一首の選者である藤原定家だが…
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雅話§百人一首考[89]~たまのをよ~

[承前] 式子内親王(しょくしないしんのう) 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする “なまじ長生きなんかすると、耐え忍ぶ力が弱くなって、秘密の恋が 暴かれてしまうわ”……だから、それだったら死んだほうがましよ! という、何とも激しい恋模様である。 そこまで本気――と書いて“まじ…
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雅話§百人一首考[88]~なにはえの~

[承前] 皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう) 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき いにしえにおける男女の出会いの場がどのようなものであったのか、 市井の民と公家の人々と、当然ながら状況は違っていただろうから、 ここでは公家のほうがどうだったのか考えてみる。 女性が公的な…
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雅話§百人一首考[87]~むらさめの~

[承前] 寂蓮法師(じゃくれんほうし) 村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ この歌も、下七七しか覚えがない……というよりは、明らかに“いず こも同じ秋の夕暮れ”と混同しているとしか思えないレベルである。 秋の夕暮れという、どうということもないフレーズが、何か我々に語 りかけてくるよう…
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雅話§百人一首考[86]~なげけとて~

[承前] 西行法師(さいぎょうほうし) 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな さて新年も7日、松の内も今日限り――かつて15日まで松の内だった が、最近はこんなものか――残る15首を片付けてしまおう。 西行法師の歌である。何というかセンチメンタルだなあと思った…… ねかはくは 花のし…
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雅話§百人一首考[85]~よもすがら~

[承前] 俊恵法師(しゅんえほうし) 夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり 今年最後の百人一首考である。来春は7日に再開してラストスパート に精を出し、2月下旬には百首の考察(のようなもの)が完了するが、 しみじみ無謀な試みであったことよと反省しきりの日々なのだ。 そもそも歌心…
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雅話§百人一首考[84]~ながらへば~

[承前] 藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん) 長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 平安時代の男性の平均寿命が35歳くらいだったとは、以前にも書いた ような気はするが、多くの人間がモーツァルトのように死んでいった というのは、いかなる世間だったのだろう。 30歳を過ぎれば老…
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雅話§百人一首考[83]~よのなかよ~

[承前] 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり) 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる 9月下旬、尾瀬を歩いた最終日の朝早く、裏燧林道へと歩き始めたら 数十m先の湿原の草むらでガサゴソという音がした。小動物ではなく それなりの大きさの存在ということはすぐわかり、一瞬“熊?”かと…
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雅話§百人一首考[82]~おもひわび~

[承前] 道因法師(どういんほうし) 思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり 死にそうになるほどの恋心を持つ人がどれほどいるものかと思うが、 それは半端ないエネルギーということなのだ。 この歌を詠んだ道因法師は、平安時代後期の人としては稀に長生きで 92歳まで生きたのだが、その事実は彼…
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雅話§百人一首考[81]~ほととぎす~

[承前] 後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん) ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 「あ、ほととぎす!」と鳴き声の方に向き直ったら、ほととぎすの姿 はなく、あったのは沈みかかる月で、キツネにつままれたような気が した……そんな瞬間を、そのまま切り取って詠んだ一首なのである。 …
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雅話§百人一首考[80]~ながからむ~

[承前] 待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ) 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ 男が通ってきて、帰った朝の情景と想いを詠んだ一首である。ただし 直近のこと詠ったわけではなく、剃髪して尼になった後に昔のことを 回想してということのようだ。 短歌の、特にこのような時代に詠まれた歌…
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雅話§百人一首考[79]~あきかぜに~

[承前] 左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ) 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ つまりは写真のような情景ということだろうか。左京大夫の一首は、 東の空に上がってきたばかりの満月の様子と思われるが、9月に尾瀬 で撮った一枚は、明け方西の方に沈んでいくフルムーンを捉えたもの …
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雅話§百人一首考[78]~あはぢしま~

[承前] 源兼昌(みなもとのかねまさ) 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守 人間、ちょっとしたことで寝られなくなることは珍しくもない。以前 部屋の中に、カネタタキというコオロギやスズムシの仲間が紛れ込ん で夜中に“カン、カン……カン”と鳴かれ、夫婦して眠れなくなり、 とうとう起き出して音…
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雅話§百人一首考[77]~せをはやみ~

[承前] 崇徳院(すとくいん) 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ 久々によく知っている一首が巡ってきた。それにしても、どれほど知 っている歌が少ないのかと……子供の頃の遺産もその程度でしかなか ったのが情けない。 番号順で、このあたりの知っている歌はというと、数首後の“ほとと …
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雅話§百人一首考[76]~わたのはら~

[承前] 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん) わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 雄大で伸びやかな一首。意外と感じるほどに恋歌の多い百人一首にあ って自然描写の歌も少ないわけではないが、恋の歌が技巧を凝らして 手練手管の粋を集めたようなの…
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雅話§百人一首考[75]~ちぎりおきし~

[承前] 藤原基俊(ふじわらのもととし) 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり 親バカの一首だそうである。僧職にある息子を興福寺維摩会の講師に なれるよう関白太政大臣藤原忠通に依頼したものの、結局は叶わなか ったことへの怨み言を詠んだ歌なのだそうだが……何だかなである。 そもそもそう…
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雅話§百人一首考[74]~うかりける~

[承前] 源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん) 憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを やれやれ、あと四分の一というところまでたどり着いた。それにして も、百人一首でこれほど目にした歌があったとは思わなかったという のが、週に2回の文章に現れていることと思う。 朝臣くんの彼女は“…
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雅話§百人一首考[73]~たかさごの~

[承前] 権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ) 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ 山の上にも桜が咲いたよ、無粋な霞が立って隠さないようにね……と いうほどの歌である。 日本人の桜好きDNAがいつ頃に体内生成されたのかはわからねど、 こうして季節になるとすべては桜へ桜へと最優先さ…
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