顧話§今日の歴史~美濃部亮吉都知事~ 1969年1月24日、東京都の公営ギャンブル全廃へ。 というニュースを見て思い出すのは、フォークソング・グループのソ ルティー・シュガーが歌ってヒットさせた『走れコウタロー』曲中で 繰り広げられた美濃部都知事の声帯模写を使った……フォークソング というかコミックソングである。 エー、このたび、公営ギャンブルを、どのよう… トラックバック:0 コメント:0 2018年01月24日 続きを読むread more
悼話§かまやつひろしさん(ムッシュ) かまやつひろしを最初に見たのは、ザ・スパイダースのメンバーとし て『世界へ飛び出せ<ニュー・エレキ・サウンド>』というテレビ番組 で歌っている姿だった。 曲は『フリフリ』や『バン・バン・バン』で、ノリのいい演奏だった ことを覚えている。その後は作曲や俳優として活動を続けていたが、 そんな中、東京で暮らし始めた最… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月03日 続きを読むread more
爪話§フォークギターを弾いていた頃 大学生の頃までフォークギターをいじっていた……ほんの数年のこと である。 フォークソングを歌いながら弾くのに、コードはすぐに覚えてしまっ たが、もちろんそれだけでは物足りず、誰もがするように、オリジナ ルのギター伴奏のコピーを試みたのだ。 ターゲットにしたのは、日本では小室等や吉田拓郎、アメリカだった らサイモンとガ… トラックバック:0 コメント:0 2016年12月05日 続きを読むread more
痙話§ハンブルク・バレエ~ガラ公演~ “ジョン・ノイマイヤーの世界”というタイトルの公演である。ノイ マイヤー自身のダンス人生を俯瞰してみせてくれた。 これが実にすばらしい舞台……平日公演だったので、少し空きが目立 つ客席だったけれど、居合わせたほとんど全員が満足してカーテンコ ールを繰り返したのである。プログラムは以下の通り。 【第一部】 『キャン… トラックバック:0 コメント:0 2016年03月18日 続きを読むread more
悼話§岡本おさみさん(作詞家) 吉田拓郎の『旅の宿』や『襟裳岬』の作詞を手がけた岡本おさみが亡 くなった。上記2曲も悪くはないが、彼の手になる歌で好きだったの は、同じく拓郎が作曲した『祭りのあと』の歌詞だったりする。 その他に、泉谷しげるの『黒いカバン』の作詞もしていて、おやっと 思ったのだった。享年七十三 合掌 《追悼のトピックス一覧》 トラックバック:0 コメント:0 2015年12月21日 続きを読むread more
雅話§百人一首考[23]~つきみれば~ [承前] 大江千里(おおえのちさと) 月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど 大江千里が詠んだこの歌の最終節にある字余りについて考えてみた。 ……あくまでも、私見に基づく単なるこじつけというか、感想として 受け留めてほしい。 千里が「秋にはあらねど」と、七文字のところ八文字を費やし… トラックバック:0 コメント:0 2015年04月16日 続きを読むread more
燃話§京都ほんやら洞の火事 1972年に、フォークシンガーの岡林信康達が開いた、京都御所の北に ある喫茶店“ほんやら洞”で、金曜日早朝に火災が発生。焼け落ちて しまった……ショックである。 70年代フォークソングに親しんだ人間にとって、京都のほんやら洞や 三条堺町のイノダコーヒは“行くべき”場所だった。夜行の各駅を乗 り継いで、朝7時過ぎに京都駅… トラックバック:0 コメント:0 2015年01月19日 続きを読むread more
悼話§ピート・シーガーさん(歌う人) すべては、ピート・シーガーの手になる“We Shall Overcome!”なの である。 アメリカという国に行ってみようだなどと、この年齢になった今では 考えられないことである。夥しい銃の数には、今だ理解しがたい銃依 存が見てとれる……ある意味で原発依存と同じではないかと言われて も否定できないのではあるが。 だが… トラックバック:0 コメント:0 2014年01月30日 続きを読むread more
顧話§懐メロ~20年前のヒット曲って~ 平成も24年が経ってしまったではないか。24年という歳月がどれほど のものかを考えてみようか。 終戦の年に並木路子が映画の挿入歌として歌い、大ヒットした『リン ゴの唄』が、24年後の昭和44年にあっても、当の並木路子が懐メロ番 組に出演して歌っていたわけだが、その時の年齢が48歳である。 それは例えば、1965年生まれ… トラックバック:0 コメント:0 2012年02月13日 続きを読むread more
調話§ギターのチューニング ギターをといってもフォークギターを弾いていたことがある。遠い遠 い昔の話だが……。 素人であろうがギターのチューニングは自分でするしかなく、音叉を 鳴らしてせっせと6本の弦の音を合わせるのだ。ちなみに弦の並びは 低いほうから高いほうに向かって…… ミ ラ レ ソ シ ミ ……で、最初にA(ラ)の音叉を共振させてラ… トラックバック:0 コメント:0 2011年06月02日 続きを読むread more
空話§カラオケに・・・何年ぶり? 先週末、とある集まりがあって久々にカラオケに興じたのだ。 別に声自慢でもないし、特にごひいきの歌手がいてレパートリーが固 定化しているというわけでもない。単に聴いたことがあるとか、その 昔の“自分の歌”を歌うくらいでしかない。 というわけで歌ったのは米米CLUBを3曲、全歌詞覚えている『石狩挽 歌』に、井上陽水『長い坂… トラックバック:0 コメント:0 2011年03月09日 続きを読むread more
岩話§『デジャ・ヴ』CSN&Y 1970年代初め、まだまだ少しはロックとかフォークとかに興味を残し ていた頃に、一枚のレコードに衝撃を受けて飽きずに聴き続けたもの がある。 クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングという、固定されたグル ープではなく、メンバー構成も(たぶん)流動的だったと思われるし、 ニール・ヤングが参加した期間も短かったはずである… トラックバック:0 コメント:0 2010年10月26日 続きを読むread more
崇話§夏休みが雨降りだった理由・・・ ミュンヘンの空港で借りた車を7日間1300km乗り倒してミュンヘンの 市内で返却した。この3年は、自宅でCD-R3枚に焼き込んだ音楽を聴 きながらの快適なドライブをしている。 ……はずだったのだが、今年の旅行中前半の雨降り続きがいかなる因 果によるものか、その馬鹿馬鹿しい理由が判明した。 1枚のCDには60年代から70… トラックバック:0 コメント:0 2010年07月14日 続きを読むread more
両話§相撲の立会い~ある歌手の見方~ ある“女性歌手”が、相撲について話していたことの又聞きである。 聞いたのは30年以上前のこと。 彼女が言うことには、国技館の桟敷で初めて相撲を観ていた時に、そ れこそどういう段取りで相撲が始まるのすらわからずに観ていたのだ った。それで彼女が観察した結果は以下のとおりである。 ・・・力士が土俵に上がっても最初のうちはぐ… トラックバック:0 コメント:0 2010年05月20日 続きを読むread more
和話§ハモりやすい兄弟姉妹・・・ とても古いところでザ・ピーナッツ、古いところでビリーバンバン、 ちょっと古いところで海原千里万里……兄弟姉妹はよくハモるという 見本である。 そんなプロでなくて、ただのど素人ではあったが、フォークソングが ブームだったその昔々、ギターを手に弟と何曲か歌ったことがあり、 やはりというかそれなりにハモったのだ。 生物学的… トラックバック:0 コメント:0 2010年05月13日 続きを読むread more
精話§きたやまおさむ~定年退官~ きたやまおさむ(北山修)が、九州大学医学部教授を定年で退官した。 我々の世代にとっては“ザ・フォーク・クルセダーズ”の“北山修” としての存在ということだったのだ。 北山本人はプロの音楽家になる気などはさらさらなくて、医者になる という、彼が思い定めた既定の路線をまっとうしたに過ぎず、だから 最後にと録音した『帰ってき… トラックバック:0 コメント:2 2010年04月07日 続きを読むread more
悼話§加藤和彦さん(フォークル) ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦が死んだ。自殺だとは……。 今の時点では言葉が見つからないでいる。 《昭和のトピックス一覧》 トラックバック:0 コメント:4 2009年10月17日 続きを読むread more
悼話§マリーさん(PPM) フォークソングのブームをリアルタイムで体感し、自分もフォークギ ターを弾いて歌い遊んだ世代である。 そんな中でピータ、ポール&マリー(PPM)の何曲かもレパートリー として弾き歌っていたのだ。『風に吹かれて』も『500マイル』も そして『花はどこへいった?』も、みんなギターを抱えて歌っていた のだった。 もう旧聞に属… トラックバック:0 コメント:0 2009年10月02日 続きを読むread more
悼話§忌野清志郎さん(RCサクセション) 忌野清志郎が率いるRCサクセションを最初に聴いたのは高校生の頃。 とんがった音楽には、フォークソングというよりもブルースのような 香りがした。 古井戸(後に忌野と合流する仲井戸麗市がいた)の『さなえちゃん』あ たりとRCサクセションの『ぼくの好きな先生』は、どこか拗ねている ような歌い口が気に入っていて、フォークギターを抱… トラックバック:0 コメント:2 2009年05月03日 続きを読むread more
悼話§天野滋さん(歌手・NSP) 今聞いたらちょっと恥ずかしい“青春のセンチメンタル”の 塊りのような曲を歌っていたニュー・サディスティック・ピ ンクの天野さんが52歳でお亡くなりになったと朝刊の訃報欄 で知った。 最近は、70年代フォークのリバイバルCDのテレビCMでち ょこっと聴く機会もあり、いきなり頭の中をギター・コード が駆け回ったりしている。 … トラックバック:0 コメント:0 2005年07月05日 続きを読むread more
悼話§アン・バンクロフトさん(Mrs.ロビンソン) アン・バンクロフトが亡くなった。『奇跡の人』のサリヴァ ン先生や、『愛と喝采の日々』のベテラン・ダンサーなどが 記憶にあるが、何といっても『卒業』のミセス・ロビンソン に尽きる。 倦怠期の中年夫人が大学卒業間近の近所のぼんぼん(ダステ ィン・ホフマン)にちょっかいを出して誘惑する。ところが ぼんぼんは彼女の娘に恋したもん… トラックバック:0 コメント:0 2005年06月14日 続きを読むread more
悼話§高田渡にまつわるあれこれ フォークシンガーの高田渡が亡くなった。 フォークブーム華やかな70年代半ば頃、訥々とした歌い口に 皮肉な遊びが散りばめられた歌詞。ギター片手に歌いこなす のが難しい一人だった。 “三条堺町のイノダって”という『コーヒーブルース』に誘 われて、東京~大垣の鈍行を乗り継いで朝早くから営業して いる「イノダコーヒ」に行った… トラックバック:0 コメント:0 2005年04月20日 続きを読むread more