テーマ:テレビ

活話§“ライブ”に行かない日本人?

テレビで見れば“それでよし”と思っているのかどうか……日本人は 特にスポーツの類を出かけていって観ることが少ないと感じる。 もちろん、プロ野球やサッカーのJリーグはそれなりの観客数を記録 してはいる。ラグビワールドカップも毎試合数万人の観客を集めての 日々だったが、問題はこの先であろう。 それで、ドイツあたりに旅行して…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§八千草薫さん(女優)

本当にきれいな……まさに女優そのものと言えた人である。いくつか テレビドラマを観た記憶はあるけれど、それほどドラマに興味はない ものだから、いつも漫然と観ていただけだった。その程度でしかなか ったけれど、画面からの存在感は際立っていたと感じた。享年八十八 合掌 《追悼のトピックス一覧》
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和四十年代~スポ根ドラマ~

[承前] 中学生の頃だったと思うが、アニメのスポーツ物とは別に、実写のス ポーツ根性物のドラマが人気だった時代があった。 よく見たのは『柔道一直線』とか『サインはV』といったあたりで、 当時を考えてもずいぶん無理な作り方だったなあという記憶である。 特に『柔道一直線』のほうの滅茶苦茶さが際立っていたようだ。20段 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

曖話§晴れ時々曇りところにより一時雨

特に雨が予想されるような時には、ネットで複数の天気予報をチェッ クする。当然ながら雨雲の動きも簡単に見ることができるようになっ たから、合わせて天気模様を把握することにしている。 そうして、ネットで眺める3つくらいの天気予報が、何というか微妙 に違っていて悩ましいものがあるのだ。 ある予報は曇りなのに、別の予報は雨が降…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

呟話§一言つぶやき~放送席放送席!~

スポーツ中継では必ずヒーローインタビューが行われるわけだが…… ……その際、アナウンサーが「放送席放送席!」と、マイクに向かっ て必ず二度呼びかけているのを、かねがね不思議に思っていたのだが それは、テレビ局とラジオ局の音声担当が“最初の「放送席」をきっ かけに、ボリュームを上げ、2回目の「放送席」で音のレベルを調整 して…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

浮話§流行には乗り遅れるタイプ

子どもの頃からそうだったが、流行り物に乗っかるタイミングが遅い のである。同級生が新発売された菓子とか、放送が始まったテレビの 新番組の話をしていてもピンとくることなどはなかった。 長じても、状況は似たようなもので、周りが騒いでいるあれやこれや についていっていることは少ない。 このところも、テレビドラマで7シリーズく…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

週話§日曜諸相~その人は~

国技館で大相撲が行われる1月、5月、9月には、その人は決まって 幕内土俵入りのタイミングで向正面中央に現れた。 そして扇子を振りかざしては囃し立てるように応援をするのだった。 それは……応援するというよりも、テレビに映って自分を目立たせた いがためとしか思えない、そんな様子なのだった。何人かの芸能人が 自己アピールよろしく…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~コカ・コーラ~

[承前] コカ・コーラが日本に入ってきたのは太平洋戦争後のことだとばかり 思っていたら、1914年(大正3年)に高村光太郎が作った『狂者の詩』 の中にコカ・コーラが登場していた。全部は長いので抜粋するが…… コカコオラ、THANK YOU VERY MUCH 銀座二丁目三丁目、それから尾張町 電車、電燈、電線、電話 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

顧話§今日の歴史~アイドルの死~

1986年4月8日、岡田有希子自殺。 会社で普通に仕事をしていた午後、テレビのニュース速報が、アイド ル歌手岡田有希子の死を唐突に報せたのだった。その当時はもう、ア イドルなる存在に興味はなくなっていたが、彼女の死には、何とも割 り切れないものを感じさせられた。 今まさに旬にあったような人気アイドルだったから“なぜ?”…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

楕話§ラグビーのルール運用~わかる?~

好きでラグビー観戦をするが、ラグビーのルールのおおよそはわかっ ているつもりではあるけれど、実際の場面でレフェリーが笛を吹くま で、そこでどんな反則が行われているか、詳細はわからない。 表に出ていて単純に目で見ればわかる反則……例えばノックオンとか スローフォワード、そしてハイタックルのような危険なプレイだった ら、わかり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§ザ・デストロイヤーさん(レスラー)

ザ・デストロイヤーと力道山の死闘をテレビで見たのは、1963年。力 道山が凶刃に倒れる直前のことだった。デストロイヤーの得意技であ る“四の字固め”に力道山が苦悶の表情を浮かべていたことは忘れら れない。 それから10年後、デストロイヤーがバラエティ番組の出演者として再 登場した時には驚かされた。 それを見た時、嬉々…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

戯話§カメラの前で踊る人

テレビのスポーツ中継やら街頭中継に付き物なのが、テレビカメラの 前でおふざけをする人たちである。 はしゃぐ彼らだけが映っているのであるなら、他愛のないことだ程度 で片づけられるが、彼らの手前にはインタビューが行われていて、ま じめなやり取りが行われている……その後ろで様々な愚にもつかない “パフォーマンス”を展開している様…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§樹木希林さん(役者)

樹木希林を初めて見たのは、50年以上前に放送されたTBSのホーム ドラマ『七人の孫』で、当時は悠木千帆という芸名を使っていた。そ の時から、ユニークな役者だと思っていた。 何てことをと思ったのは、1977年に放送されたテレビ番組の中で悠木 千帆の芸名をオークションにかけたことである。そして2万2百円で 落札されたことで悠木…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和四十年代~ボウリング~

[承前] ボウリングが隆盛を極めたのは昭和40年代のことで、民放各社はこぞ ってボウリング番組を制作し、ゴールデンタイムに放送されることも あった。 男性プロボウラーだったら矢島純一や西城正明、女性では中山律子や 須田開代子といった面々がテレビ画面を独占していたこともある。 その流行は人口13万ほどの我が町にも押…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§西城秀樹さん(新御三家)

自分が生まれた1954年に比べると、一歳下の1955年生まれには際立っ たタレントが揃っていると感じている。例えば十八世中村勘三郎のよ うな存在が、それを象徴していると思うのだ。 同い年の野口五郎と、1956年早生まれで同学年の郷ひろみとともに、 新御三家と呼ばれた西城秀樹も、そんなタレントの中の一人だった。 何度も脳…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

常話§技巧を凝らした俳句は・・・・・・

2012年の立春過ぎ頃に始めた“一日一句”が、既に6年経っていた。 相変わらずの片手間作句だから、そのほとんどは戯句にすらならず、 どうにか五七五をまとめたに過ぎない。作句に要する時間もせいぜい 10分かそこらで、30分も考えうなっているわけではない。 ぱっと思いつく時は気楽なものだが、たまに悩んでしまうこともあっ て…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

虚話§マナー講師の怪~緑茶のお返し~

テレビのバラエティ番組にはろくなものがなく、だから当然ながら見 ることはしていないが、ネットなどを通じて馬鹿な状況を知ることに なるのだ。 今回も“お祝いのお返しに緑茶はそぐわない”という発言を、マナー 講師なる人間が発言したということで波紋が広がったようである。 緑茶が葬儀の席で出されるため、そうした発言に繋がったと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

懐話§昭和三十年代~白黒テレビ~

[承前] 実家にテレビがやって来たのは1962年(昭和37年)のことだった。父親 がケチだったのか本当に金がなかったのかはわからないが、なかなか テレビを買おうとせず、子供心に恥を忍んで知り合いの家にテレビを 見せてもらいに行ったが、もちろんチャンネル権などありはしない。 かくして、待望久しいテレビが我が家にやって来た…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

蘭話§旅はなお[23]アルプスな日々(違

[承前] 当地に滞在している人たちの目的は、この時期であればコンサートに 通うことが大きな比率を占めるが、それに加えて散歩や軽い山歩き、 自転車に乗って走り回る人も少なくない。 我々はといえば世間の暑さを口実にして、戸外で活動すること少なめ である。そしてそのぐうたら度合は、暑さに比例してヒートアップす ることになる…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

呟話§一言つぶやき~医師は万能か~

ついこの間のこと「医師が100%治せるわけでない」という発言に…… ……噛みついたタレントがいたと聞き、何だかなと思ったが、まずは 医師が最善を尽くすのは当然の前提として、それでは完全に治せるか というと、医師であってもそこまでわかるわけではなく、そこで医師 不信を抱いた人間が似非科学的な怪しい治療に走るのは、珍しくもな …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

伝話§視聴者提供の“映像の世紀”

市井の人たちが撮影した動画や写真が、メディアやネットの中に溢れ るように存在している。既にテレビのニュースは、視聴者が撮影した リアルな映像なしには成り立ち得ないというのは大げさに過ぎるか。 最近でいうなら、アメリカのユナイテッド航空で定員オーバーとなっ た飛行機を離陸させるために、一人の乗客を無理矢理暴力的に降機さ せた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

顧話§今日の歴史~民放の産声~

1951年4月21日、民間放送16社に予備免許。 民放がテレビ放送を開始したのは1953年8月のことで、それに先立つ 2年前に予備免許が交付されたのである。 NHKが放送開始した時点で、受信契約数は1000件にも満たず、庶民 はといえば、街角に設置された“街頭テレビ”に集まって、人だかり の中からプロレス中継を見ていた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

遠話§地上デジタルとか4Kとか

デジタルハイビジョン放送が始まる前。まだ普通のテレビを見ていた 頃は、そんなに画像精度が高くなっても、肝腎な元となるソースの質 はどうなのかという疑問を感じていた。 そうしたら、あにはからんや……その画質をそれなりに楽しんでいる 自分がいるのだった。もちろん番組のジャンルにもよるのだけれど、 スポーツ中継、劇場中継といった…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§岡野俊一郎さん(サッカー)

かつての東京12チャンネルで『三菱ダイヤモンドサッカー』という、 海外のサッカー試合を紹介する番組が放送されていた。 アナウンサーは金子勝彦で、解説をしていたのが岡野俊一郎だった。 なかなかの名コンビで、機会を捉えては放送を楽しんでいた。今とは 違ってプレイスタイルもあくせくとしたものではなかったようで、何 となく長閑な時…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§藤村俊二さん(振付家)

藤村俊二の存在を初めて知ったのは、1966年からフジテレビが放送を した洋楽ベストテン番組『ビートポップス』の振付師としてである。 テレビを見ている人間でも簡単に覚えられるようにと、シーカーズの 『ジョージーガール』とか、ミリアム・マケバの『パタパタ』といっ たあたりが記憶には残っているが、お手軽な振付ではあったのだが。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

専話§球辞苑というテレビ番組が

NHKに『球辞苑』という野球にまつわる事柄にあれこれ突っ込みを 入れていく番組があって、おもしろく見ている。 それこそ“インハイ”であるとか“クイックモーション”“スイッチ ヒッター”といったマニアックなキーワードを、スタジオのメンバー が辞書を編纂するような気になって詰め進めていくのだ。 ついこの間のテーマは“ファウ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悼話§松方弘樹さん(役者)

松方弘樹の記憶といえば、1974年に放送されたNHK大河ドラマ『勝 海舟』で、当初は渡哲也が主役だったのに10回ほどで病気降板。その 後を松方が引き継いだことがあった。 ドラマの中で勝海舟が、そうでしょうと言うのを“そうでんしょう” と言わせていたのが印象的で、あれが江戸言葉であったのかどうか、 ちょっと調べてみたがよくわ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more