読話§ブログの日常性あるいは非日常性[下]

[承前]

それが……40年の時を隔てて、インターネットの世界に“ブログ”な
るものが登場した。いくつかのブログを覗いてみて“ああ、日記だっ
たら自分には書けない”と思った。

日記を書ける人は、日常の中に風景を見出すことのできる人である。

……そういう風景を描けない人間が、それでもブログをやってみよう
と思い立った時にたどり着いた結論が“日常性に拘らなければいいじ
ゃん”というものだった。

そういう方針で何が書けるのか、とりあえず“自分の周辺”を書いて
みようと思ったのである。それを続けることで何か表れてくるものが
ありやしないかと考えたのだ。

その結果が、ここまで2000に近い書き込みの塊である。

一個人が何かを書くのだったら、当然ながら“私的な営み”が表現さ
れる。周辺事象を書き連ねていくその先には、一個人の営みが滲み出
てきているのだ。どのような事象も、一度は自分の内部に取り込まれ
なければ文章にはならない。その結果として文章の中に自分が現れて
くるのだと考える。

何だか屁理屈をこねくり回した気がしないでもないが、要するにブロ
グがここまで続いた理由は、ざっとこんな感じなのではあるまいかと
想像してみる。

【ひだまりのお話の原点】

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