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zoom RSS 鍵話§ティル・フェルナー〜行間の喪失〜U

<<   作成日時 : 2008/12/25 12:03   >>

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[承前]

比較する対象としてはあまりに巨大に過ぎるのを承知で、アルフレー
ト・ブレンデル――12月18日にウィーンで引退公演を終えた――につ
いてである。1992年10月にウィーン・ムジークフェラインでまったく
同じプログラムによるブレンデルのリサイタルを聴くことができた。

ブレンデルのピアノはギクシャクするところなどなく、観客は彼の音
楽を何も斟酌することなく自然に受け容れることができたのだ。そこ
に奇矯な音楽は存在せず、さらに加えるならば休止符もまた音楽であ
った。その沈黙の音楽にブレンデルは諧謔や皮肉を込めるものだから
ウィーンの聴衆が思わずくすりとする場面もあったりして、それまで
ピアノの音楽というものの捉え方が一面的だったのが、その一晩で起
きた化学変化は実に劇的で、すっかり考えが改まったのだ。

……あるいは、その時20歳だったフェルナーも楽友協会でブレンデル
を聴いていたかも知れない。あるいは、第一回のプログラムをこのよ
うにしようと思ったのでは、というのは相当に飛躍した想像である。
ベートーヴェンのソナタを全曲演奏する時のプログラミングとしては
常道のひとつなのかもしれないし……。

そうした彼の意欲は、残念ながら我々二人には伝わってこなかった。
比較しながら聴くものではないと自らを戒めながら、そういった狭間
で揺れ動きながらも、結局はフェルナーが奏でるベートーヴェンには
共感することができなかった。というわけで今回のベートーヴェン・
チクルスはこれだけ。この先に彼の実演を聴いてみるのは、10年後と
かの話になるだろう。

多くの音楽家が同じ曲を演奏する。そんな現在の状況である以上、音
楽家は色々な意味で比較という眼に晒されることは覚悟せねばならず
またある意味では“消費者リサーチ”という発想も持たねばならず、
それもまた因果な商売であると思ったのである。

付記:今年一年で三組のオーストリア出身の演奏家を聴いたが、誰も
彼も物足りない印象が残った。そこで考えたのがオーストリアの自国
演奏家のセールスの戦略の巧みさのようなものであるがどうだろう。
特にオーストリア現地で聴いていると、そこはかとなく“身贔屓”の
ようなものが強く感じられるのだが。


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