跳話§モーツァルトのテンポ感

フリードリヒ・グルダが弾いているモーツァルトのKv.333のソナタを
聴きながらふと感じたことがある。

モーツァルトには速度記号としての“アレグロ”が存在しないのでは
ないのだろうか、ということである。もちろんモーツァルトの楽譜に
は、いくらでもアレグロという指示があるわけだが、それを鵜呑みに
して演奏するとトンデモということになりかねない。

素人の浅薄な想像に過ぎないのだが、モーツァルトの音楽には作曲が
なされた時点で既に速度が内包されていて、それを感じ取って演奏す
れば“よし”なのに、モーツァルトが書いた速度指示を守って演奏す
ると具合が悪いのではないかと思うのである。

・・・それは素人の思い込みに過ぎないのだということは重々承知を
してはいるが、モーツァルトの音楽を聴いていて、アレグレットより
速くてプレストより遅い音楽が“アレグロ”だとは、やっぱり思えな
かったりする。

なぜそう感じて思い込んでしまったものかと考えても詮のないことで
たぶん要するに“アレグロ”というものが持っていると思われるイメ
ージとモーツァルトの音楽のイメージとが単純にそぐわないのだとい
う根拠のない感覚的なものがあるからではないかということなのだ。

それじゃあアレグロというニュアンスが似合う作曲家はといえば、こ
れはもうベートーヴェンが筆頭だったりするだろう。ベートーヴェン
の密度の濃い音楽だとアレグロが驀進していくようで、個人的な感覚
としては理解できちゃったりするのである。

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