僕話§カール・リヒターの遺産[上]

『ザ・レガシー・オブ・カール・リヒター』というDVDが眼につい
たので購入、その日のうちにひと通り観たのだった。

カール・リヒターだが、自分自身にとっての数少ない“神”のような
存在で、バッハに関してはとにもかくにも、彼無しではという状況が
長く続いていた。もちろん現在は様々な選択肢があるわけだが、それ
でも巨大な指標としてリヒターは生き続けているのだ。

ずいぶん前のことだが、団地の一階に住んでいた住人が、来日公演の
『マタイ受難曲』を体験しているという話に、本当に珍しく嫉妬を感
じてしまったということもあったくらいである。

リヒターの息子制作の映像ドキュメンタリーは、ライプツィヒからミ
ュンヘンに活動の地を移すという頃から始まり、彼の指揮姿、オルガ
ンやチェンバロを演奏する多くの――ほとんど断片ではあるが――映
像、リヒター自身の言葉や共演した演奏家の言葉で、リヒターの人と
なりをいくばくかでも知ることができたように思う。

様々な演奏の断片を聴きながら感じたのは、リヒターが“癇癪持ち”
のような演奏をしているということである。そういう書き方は誤解を
招くかもしれないが、音楽のすべてに隙がなく畳み掛けるようにして
我々の耳に届くものだから、時として息が詰まりそうになったりもす
るが、リヒターにしてみれば聴衆という存在は“副産物”でしかない
などとすら思ってもみてしまうのだ。要するに……

ワタシの音楽を聴きたいのであれれば聴けばいい

……というスタンスに尽きるのではないか。と、そういう想像にまで
及んでしまうのである。
                            [続く]

【去年の今日】週話§土日短信~副都心線連絡地下道~

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