壁話§東欧ドミノから20年<Ⅱ>ルーマニア

[承前]

東欧のどの国の“革命”も、それぞれに劇的な展開で進んでいったわ
けだが、その中でも最も激烈な形で進行していったのがルーマニアで
おびただしい血が流れ多くの犠牲者が出た唯一の革命であった。

それまで我々が知っていたルーマニアという国はといえば、社会主義
の優等生とやらで、チャウシェスクの指揮下堅固な体制を築き上げて
きたというイメージで、そんな象徴が女子体操のコマネチという存在
だったりもした。

ところが、他の社会主義国と同様というか、さらに状況が悪化してい
たのがルーマニアだったということは凄まじい革命の後に知ることに
なる。我々もまた“思い込まされて”いたのである。

他の東欧諸国の体制が崩れていく中にあって、ルーマニアは最後まで
持ちこたえた。我々にしてもひょっとしたらチャウシェスクの体制は
堅持されるのではないかとすら思っていた節がある。

ところが、12月になってティミショアラで起きた事件から体制が崩壊
していくことになってしまった。それから後はあれよあれよという流
れの速さで、チャウシェスクが集まった群集に向かって演説を始めた
直後に突然中断して壇上から消えてしまったという映像は、ほとんど
リアルタイムで見ていたのだった。・・・そして凄惨な処刑。

それにしても、あまりにもあっけない結末であり過ぎた。今年になっ
て見たドキュメンタリー番組では、その時の東欧の動向について、西
側の諜報機関が暗躍していたことを詳細に取り上げていたが、そんな
工作活動がどれほどの効果をもたらしたのだろうか。
                            [続く]

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