歌話§戦後日本におけるオペラの推移

浅草オペラとか帝劇オペラとかまったく知らないも同然なので、一足
飛びに戦後オペラ風景をと考えた。といっても前半は大雑把に俯瞰す
るのみ。語れる年月は自分の記憶の範囲内でしかない。

ラフに、戦後オペラの流れの第一期をNHKイタリアオペラ公演の一
連の舞台とする。1956年に始まり、1959年第2回のデル・モナコが歌
った『オテロ』はもちろん、1976年の最終公演でカバリエ、コッソッ
ト、カレラスが歌った、一連の実演を観る機会はなかった。

という第一期が過ぎようとする1974年、バイエルン国立歌劇場の引越
し公演に始まる“本格的”外来公演を第二期としておく。もちろん、
それ以前にも1960年代にはベルリン・ドイツ・オペラが来日していた
り、1970年の大阪万博でもいくつかの歌劇場が引越し公演を行なって
いるが、NHKイタリア・オペラの終焉と重なるタイミングの1974年
という年も画期的だったということで第二期にしてみる。

自身が参入したのは1980年のウィーン国立歌劇場からで、クライバー
初来日の『ばらの騎士』を見逃したとはいえ、80年から30年間ほどの
引越しオペラ公演の相当数を観ているわけで、そういう意味ではいい
時代とタイミングが合ったと思うのだ。

とにかく金食い虫の引越し公演も、ここ数年ほどは日本の景気の元気
のなさに引きずられて、演目数や公演数が激減したような印象なのだ
が、それにはもう一つ理由がありそうな気がしている。

それはといえば、少なからぬ人達が直接現地に出向いてオペラを観る
ようになったのでは……ということである。その人数はおそらく30年
前の比ではあるまい。

スケジュールにもよるが、ウィーンやミュンヘンのレパートリーハウ
スだったら一週間で4つくらいのオペラを観ることができるはずで、
歌手の揃いが来日公演ほどではないとしても、現地の雰囲気の中で、
ちょっと贅沢な気分を持ちながら鑑賞できるのだから、出かけていく
人達が増えるのも当然のことだろう。

引越し公演の育てた観客が、引越し公演から“卒業”して、飛び立っ
ていくという現象はまた皮肉のように感じられなくもない。

追記:同居人から「若い層が、チケット代の高さに参入ができないと
いうこともあるんじゃない?」というコメントがあった。確かに我々
が歳をとったが、新たに若い客が増加しているとは思えない。


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