嘲話§寄席とテレビ

落語とか漫才といったお笑いはテレビを通じて親しむようになった。
小学校高学年の頃である。

そんな寄席番組を見ながら、ずいぶんと古びた歌謡グループが、同じ
テーマを歌っては笑いの取れないギャグをやっていた。それを見て、
子供心にも“昔は知らないが、今という時間に乗り遅れた野暮なグル
ープだな”などと感じていた。

寄席が持っていた古さのある部分が、テレビのスマートさからはじか
れていく……そんな光景をリアルに見ていたような気がする。落語に
しても噺家によっては、そういう古臭さとか野暮ったさがにじみ出る
ような人もいたが、例えば先代の文楽とか圓生のような大御所連中は
そのあたりをとっくに超越していたような気がする。

古典落語は、だから何とかなったのだが、最初に挙げたモダン歌謡漫
才の類がどうにもこうにも見ちゃあいられなかったのだ。そこには、
今から思えばテレビ的なスマートさの欠片もなく、昔は受けたかもし
れないが、とっくに使い古した全然おもしろくもなんともない15分足
らずの出番が鬱陶しくてならなかった。

♪地球の上に朝が来る その裏側は夜だろう♪

という、川田晴久の手になるテーマ音楽で舞台に現れたグループが、
辛うじて生き残っていた……寄席とテレビの狭間の時代だったのだ。
そして、寄席の笑いはテレビによって大きく淘汰されようとしていた
のである。

【去年の今日】週話§日曜悠々~戦後65年~

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