蕪話§コンスタンチン・リフシッツ演奏会

三連休初日、1月に続いて2度目の所沢訪問は、コンスタンチン・リ
フシッツのベートーヴェン後期ソナタ3曲の演奏会である。先物買い
する人ではないので、過去2回は聴いておらず今回が初めてなのだ。

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聴いた席は、樫本大進の時とほぼ同じの3階1列目だが、今回は我々
の他に3人の客が席についた……どんなチケットの売り方をしたのか
相変わらず疑問のままである。

ピアノ・ソナタ第30番 E-Dur Op.109

ピアノ・ソナタ第31番 As-Dur Op.110

****************休憩****************

ピアノ・ソナタ第32番 c-moll Op.111


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黒ずくめのいでたちで登場したリフシッツは、ジャケットを床に脱ぎ
捨てて30番を弾き始めた。やや作り込みで作為というかケレンが過ぎ
る1楽章と2楽章には“おもしろいけれど……”という但し書付きの
感想を持ったのだが、3楽章が凄かった。

ベートーヴェンが意図したかどうか、最後期の3曲は我々人間のため
ではなく、ベートーヴェンが神と対話したいと考えて作曲したとしか
思えないような音楽だと感じるのだが、この日のリフシッツは、憑依
したとしか思えず、聴衆の存在も関係なく、神との対話を繰り広げた
のである。

対話は31番終楽章のフーガ、32番の終楽章のピアニシモまで続いた。
そこで考えたことは、リフシッツは終楽章以外の音楽を、ハレとケの
“褻”として、あるいは“俗”と捉えてケレンたっぷりに演奏してみ
せたのではないかということなのだ。

ケレンの頂点は休憩後の32番を椅子に座ると同時くらいに弾き始めた
ところ。それを見た3階席の夫婦は“クライバーみたいじゃん”と、
同じことを感じたのである。

そんな、とっ散らかしたような音楽を巨大な構造物であるかのように
ステージ上に構築してみせたのはリフシッツの剛腕の賜物であろう。
時折の鋭いアクセントの打鍵は、構造物に何かを穿つようにも聴こえ
たのだ。

ピアノ(この日はヤマハ)の響かせかたと自在なテンポの揺さぶり、粘
度の高いフレーズがあるかと思えば、32番ラストの永遠に続くような
ピアニシモのトリルの純度の高さまで、リフシッツというピアニスト
の大きなスケールと懐の深さを思い知った所沢の午後。

【去年の今日】週話§日曜閑居~チョコレート~

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