閲話§校正恐るべし~後世ではにゃい~

ちょうど一年前に校正話を書いている。それから一年経ったところで
定期巡回しているブログで凍りつくような文章がアップされていたの
で、敬意を表しつつ紹介しておく。そんな仕事に携わっている人だっ
たら、誰でも経験することを簡潔に書き表したのが下の文章である。

ただし、例外的に自分で自分の誤りを瞬時に見つけることができるケースがある。それは刷りあがったものを読むとき。ぜんぶ終わった後なら、書き手の校正能力は神のレベルに到達する。

……すべてのチェック作業が終わり、印刷から製本が済んだ完成品が
眼の前に置かれる。これから取次を経て町の店頭に並べられる直前の
製品をパラパラめくっている、その時……一瞬眼の端をよぎる不吉な
影……背筋を冷たいものが走っていくのだ。

直視したくないのだが眼は勝手に直視し、そして……誤植の存在を認
めざるを得ないことを悟るのだ。同じ場所、あるいはその周辺に目配
せをしていたはずなのに、どうしてその時には気がつかず、引き返す
ことができない時に見つかってしまうのだろう。

我々ほど――他の職種でも同じだろうが――“後悔先に立たず”なる
諺を身をもって体に刻み込んでいる集団はいないのではなかろうか。

100ページ、200ページという本の中にひそむ誤字誤植を完璧にゼロに
して市場に出せたことがあっただろうかと思う。そんな“不良品”を
出し続けているという忸怩たる思いも小さからぬものがあるのだ。

完成前の製品に対して神の眼を持っているならと思い続けていたが、
その願いも叶わぬまま、来週で35年の時が経過しようとする。

【去年の今日】諧話§一日一句~昨日……でした~

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